日本のハワイイ・シーンの草分け的存在であり、ハワイイミュージック、フラのイベントプロデューサーとして、ハワイイショップ「コハラカンパニー」オーナーとしてさらには、レイメーカーとして大活躍中のヒデ・カラニモク氏にお話を伺いました。
ヒデさんのことをハワイイの人だと思っている方も多いのではないでしょうか?
生まれも育ちも立派な日本です。そんなヒデさんがなぜ「ハワイイと言ったらヒデさん」と呼ばれるようになったのか、ザ・ブラザース・カジメロとの出会い、 現在のフラ、ハワイイミュージックイベントについて等々じっくりお聞きしました。

─ハワイイとの出会いは?
ヒデ:出 会いと言っても、ハワイに対する興味も知識も何もなかったんです。日本で普通に働いていたのですが、20代の半ばに英語をマスターしようと思い、アメリカ 留学をすることにしたんです。その候補地としてニューヨークとハワイを考えていて、両方に行って調べたのですが、ハワイの方が学校の数も多かったし、日本 人のコミュニティーもあって安全だろうと思い、とりあえずハワイに行ってみたら学校が見つかってしまって、そのまま学校に入ってしまったんです。いまと 違ってビザに関してもうるさくなかったですし、そのまま留学生活が始まってしまいました。実質5年間ぐらい留学していたのですけれど、日本に帰る寸前まで ハワイに関する仕事をするなんて考えてなかったですね。

─「コハラカンパニー」を始めるきっかけとなったのはどういうことだったのですか?
ヒデ:日 本に帰ってきて、偶然、ハワイアンミュージックのライブのチケットをもらって聞きに行ったんです。そうしたら、そこで演奏されていた音楽はとてもハワイア ンミュージックと呼べるような代物じゃなかったんです。僕がハワイで聞いていたものとはまるで違っていました。それで一緒に行っていた友人に「これはハワ イアンミュージックじゃないよ」って思わず言ってしまったんです。そうしたら周りの人に聞こえちゃって、「これがハワイアンミュージックだ、何も知らない のに偉そうに言うな」と怒られてしまったんです。これは何か違うぞと思って。学生時代から音楽、ダンスなどには興味があって、公演などにも関わっていたこ ともあって、だったら本物聞かせてやろうじゃないかと思っちゃったわけです。

─ハワイイに行ってすぐにハワイアンミュージック、フラなどに出会っていたのですか?
ヒデ:い えいえ全然。その当時はワイキキにまだマハラジャがあって、ディスコが全盛の頃だったんです。朝方まで遊んで、昼前から学校行って、夕方から少しバイトし てまた朝まで遊ぶと言うような典型的なハワイの日本人留学生の遊びパターンの生活でしたね。でも、1年〜1年半ぐらいしてこれじゃやばいぞと思いまして ね、何しにハワイに来たのだろうと考えて、とりあえずワイキキに住むのをやめて、生活を変えてみようと思って、田舎の方に引っ越したんです。そうすると、 徐々にロコとの交流が増えてきたんです。そのなかのひとりに、歌の先生を紹介されて、歌というよりもボイストレーニングの先生なんですけれど、日本にいた 頃から歌など好きで少し歌ってたことがあったんですよ。それで、習いに行くようになったのですけれど、その先生がとても有名な先生でハワイのすごいアー ティスト達がレッスンを受けにきていまして、その中にザ・ブラザース・カジメロのロバートとローレンの二人もいたんです。

─それで交流が始まったのですか?
ヒデ:紹 介はされたのですが、とても怖い感じであまり話はできませんでした。最初合ったときは怖いというか近づけない雰囲気がありましたね。でも彼らが週に五日間 ロイヤルハワイアンホテルに出演していると聞いて行ってみたんです、それ以来、週のうち三、四日ロイヤルハワイアンに通うようになりました。どんどん彼ら の音楽、フラが好きになっていきました。相変わらずロバートさんとはあまり話しませんでしたが、ショーに出ていたダンサー達と仲良くなって、ショーの後ご 飯を食べに行ったり飲みに行くようになりました。そのときからフラのダンサー達と交流が始まりました。

─ほとんど毎日ロイヤルハワイアンに行くようになった魅力は何でしたか?
ヒデ:あ まり考えたこと無かったですけれど…本物を見せてもらったからじゃないですかね。自分が思っていたのとは違うハワイの生活があることを知って、とても刺激 を受けたんです。毎日ショーで使うためのレイを作るために山に入ったり、作ったレイを長持ちさせるにはどうしたらよいかとか、実際にフラをやっている人た ちと行動をともにして学ばせてもらっていることがすごく楽しかったんです。それまではショーの華やかな表の世界しか知りませんでしたから。

─ハワイイの人たちは非常に優しいし、それこそ、ALOHAな気持ちを持った人が多いですが、ファミリー意識も強くて、本当に仲良くなるのは大変な部分もありますよね。
ヒデ:そ れはありますね。僕もそうやってみんなと知り合って、ハラウ・ナー・カマレイ(ロバートさんのハラウ)の練習を見に行ったり、少し教えてもらったりするよ うになったんですが、最初は大変でしたね、前から知っていた人たちは親切にしてくれましたが、他の人たちはかなり警戒心を持っていて『ここから中には入れ ないぞ』という感じはありましたね。(笑)それでもロバートさんの包み込むような優しさに甘えた形で通い続けてましたね。

─その当時のエピソードはありますか?
ヒデ:そ うですね。ワードセンターにあったアンドリュースという店にダンサー達と毎晩お酒を飲みに行っていたのですけれども、そこではマヒ・ビーマがほとんど毎日 演奏をしていました。そして、有名ミュージシャン達も大勢来ていたんですが、もちろんロバートさんもですが。僕は貧乏留学生だったのでそんな店に行けるだ けでうれしかったんですけれど、いつも支払いの時になると一緒に行っていたダンサー達(ご存じの方も多いと思いますが、ジャッキー、ブブ、マイケル達だそ うです)がヒデはいいよと言ってくれて、お金払ったこと無かったんです。きっとダンサー達が割り勘で払ってくれていると思っていたんですが、数年後(日本 に帰ってきてから)聞いたらロバートさんがダンサー達の分も含めて全部払ってくれていたのだそうです。何も言わずに。2年近く週4?5日ずっとですから びっくりしましたし、感謝もしました。

─その後日本に帰ってきてコハラカンパニーを始められたわけですが。始めようとしたきっかけは先ほど伺いましたが、もう少し詳しく、日本にハワイイの何を伝えたいと思って始めたのですか?
ヒデ:先 ほどの答えの繰り返しになりますが、本物をなるべくそのままに伝えたいし、日本の人に知って欲しいと思っています。ハワイの人達も自分たちの文化であるフ ラとか音楽を、多くの異なる文化を持つ日本人が、こんなに熱心にやっていることに対して違和感や不思議な気持ちを持っているようです。そして彼らは自分た ちの文化を愛してくれたり、支えてくれたり、多くの人に伝えてくれたりすることに大変感謝しています。しかし、文化を継承して欲しいとは思っていないと思 います。それは違うことですから。僕自身としてはハワイの文化で生活をさせてもらっていますので、ハワイ文化をリスペクトしています。そして、ようやく日 本にも本物のフラとか音楽が分かる土壌が出来てきた事をうれしく思っています。そして、これを何とか育てたいし、次の世代の人たちに伝えたいと思っていま す。商品を仕入れているのではなくて、他の民族の文化を紹介しているわけですから、入ってくる量が増えることによって、本質が変化してしまう、日本のもの に変わってしまう、そういうことが起こるとそれはハワイの人に対しても大変失礼だと思います。そのことはいつも考えていますね。

─今年5回目を迎えるパン・パシフィック・フラ・エキジビションはそのことを伝えたくて始めたのですか?
ヒデ:本 物のフラにもいろいろなバリエーションがあることを見て欲しかったですね。それまでは一つのハラウが何曲かまとめて踊ると言うことがなかったのです。パ ン・パシフィック・フラ・エキジビション(以後パンパシと表記)ではそれをやりたかったんです。各ハラウに15分から20分を渡すからその時間を演出して ステージを見せて欲しいとお願いしました。そうすると、本物のフラでもいろいろなモノがあって、特徴が見えてくると思いました。

─パンパシは成功して、その後イベントが増えましたよね
ヒデ:パ ンパシがきっかけとなってハワイから多くの人が来てくれるきっかけとなったとしたらうれしいですけれども。しかし、気を付けないと問題も多いと思います。 ハワイ関係の興行を行っている人たちの中に本当のプロが少ない。とりあえず、ハワイからミュージシャン、ダンサーを呼んできて、ステージを与えればショー として成り立つと思っている人が多いと思います。彼らの本当の良さをしっかり伝える事が出来るプロデューサ的な人がもう少し多く出てこないと、お金を払っ て見に来てくれるお客さんに飽きられてしまう、そろそろ危ない頃ではないかと思っています。もちろん、ハワイのアーティスト達にも問題があって日本から声 をかけられればプロモーターが誰であれ、来てしまうとか、ギャラもバラバラだとか。今ひとつの転機であることは確かだと思います。

─5回目のパンパシが11月6日・7日に行われますが。
ヒデ:11月6日(土)・7日(日)の2日間、昭和女子大学 人見記念講堂(東京都世田谷区)で行います。本物のフラを見せますので是非おいで下さい、お待ちしています。(詳しくは→http://128.121.67.10/)実は、東京でのパンパシは来年お休みしようと思っています。来年は6月にパン・パシフィック・フラ・エキジビション・ウエストを広島で行う予定です。

─理由は?
ヒデ:フラも東京ではかなり本物志向になってきていますが、まだ地方格差があるように思えるんです。なので西の方での開催を考えました。

─レイメイキングはどうですか?
ヒデ:レイメイキングはクラスが増えています。青山のこの場所はレイメイキング教室と、CD販売を中心にしようと思っています。改装準備中です。本物志向の人が増えていますのでコアな生徒さんが多くなっていますね。

─日本は特に都会では、花の値段も高いですし自由にどこかに摘みに行くというわけにも行かないのでハンディはありますよね
ヒデ:そ うですね、ハワイの文化としてのレイというモノはあるのですが、日本ではもっと普段使いするようなレイが増えても良いと思っています。プレゼントとかお祝 いとか気軽に送ったり出来るようになると良いと思っています。若いレイメイカーの人も増えてきてうれしいですね。その中で、本物のハワイ文化としてのレイ を普及させていくのが僕の仕事かなと思っています。

─フラも教えていますよね。これは言って良いのですか?
ヒデ:かまいませんよ。(笑)教えるというか、僕も勉強中ですから一緒に勉強しましょうという感じです。コンペティションに出るわけでもないですし、どこかで発表しようという訳でもないのでそれでも良ければ一緒にということです。

─ヒデさんはハラウ・ナー・カマレイのメンバーなのですが?
ヒデ:メ ンバーリストには載っていますが、正式なメンバーではありません。それは、ハワイに住んでレッスンに出ているわけではないので。(Who’sWhoに登場 していただいたロバートさんも、最低5年はハワイイで勉強しなければ、だめだと言っていました)ロバートさんに教わってはいるけれども、ハラウ・ナー・カ マレイのメンバーではないというちょっと複雑なポジションです。もちろん、私が教えている生徒さんもナー・カマレイとは関係はないですし、ロバートさんの 生徒でもありません、それははっきり生徒さんに言っています。こういうことをはっきりさせておくことは、とても大事なことです。たとえば、ハワイのクムの ワークショップを受けたからと言ってそのクムの生徒でもありませんし、もちろん弟子でもありません。そのことが分かっていない方もいるようでハワイの人達 も困っているところがあるようです。まあ、ハワイのクムフラと呼ばれている人達の中で本当にクムフラの称号を持っている方は三分の一ぐらいではないでしょ うか。このことと、コンペティションで良い成績を上げているという事とは別のことですから。しかし、ロバートさんも日本に来たときにはレッスンを見てくれ て、冗談に「コハラダンスカンパニー」と呼んでくれていますけれど。(笑)

─今後のコハラカンパニーは音楽と、フラのイベントレイメイキング教室、そしてフラを教える。(笑)
ヒデ:コ ハラカンパニーでなければ出来ないことを中心にやっていきたいと思っています。たとえば、ハワイイの洋服とかはもっと得意な人もいますし僕がやらなくても いいでしょう。(笑)まだ正式に決まってませんが、レイメイキングのDVDを作る予定があります。まだ未定、お楽しみという感じです。

─ところでヒデさんにとってハワイイとは何ですか
ヒデ:ハワイに行くとお母さんの元に戻ったような気がいつもします。泣きもしたし、笑いもしたし、怒られもした。いろいろありましたからね。ハワイの人の優しさもあるしね。

─最近ハワイイではまっているモノはありますか?
ヒデ:ロングス(Longs-ハワイイのあちこちにあるドラッグストアー)のバナナブレッド。(笑)昔から売ってたらしいのですけれど、最近覚えてはまっています。おいしいですよ。

─今度食べてみます。長い時間ありがとうございました。

(2004年9月青山コハラカンパニーにて)