特にアロハではサンサーフ、ケオニ・オブ・ハワイなどのブランドを展開している。
そのアロハは世界のコレクターから高い評価を受けている。
今回はアロハのディープなアロハシャツの世界を充分堪能してください 。
「日本人がつくったアロハシャツ」
─今回は私の個人的な興味で小林さんにお会いしたかったんです。アロハが好きで、サンサーフのアロハが好きなんです。ハワイに行くと、フラをやってる現地 の友人にも『いいシャツ着てるね!』ってほめられるんですよ。『日本のだよ』っていうと相手も驚いています。だからここ10年来、ハワイでアロハは買って いませんね。是非ディープなアロハシャツのお話をお聞きしたいと思います。
■小林:わかりました。うちはアメリカンカジュアル全般をやっていてアロハシャツはその中のアイテムのひとつなんです。
アロハは僕の個人的趣味で力を入れていますが、会社全体で見るとアロハのウェイトはそれほど大きくはないんです。
アロハシャツを集めたり、興味を持ったきっかけは、本当のことを知らないから歴史を調べたりしているうちにでしょうか。カジュアルっていうのは世の中に歴 史として残らないから、後世にいいアドバイスを残せればなと思ったんです。
そのうち、モノマガジンとタイアップでアロハ本をつくって。その時に歴史を真剣に調べ始めました。
のべ一ヶ月ぐらい図書館に行ったり、いろいろなハワイの資料を調べたり、あとは昔アロハのメーカーをやってた人たちの先祖を探っていってインタビューした り。
そんなことをして、なんとなくおぼろげに歴史をつかんだんですよ。
で、一冊目の本を作ったんです。
歴史っていうのは時間がたつといろんな事が段々わかってくる、間違ってた部分があったり、勝手な解釈で書いてた部分もあったりして。
一冊目の本を作る時には、たまたまインタビューに行ったけれどできなかったエラリー・チャンという、もともとアロハシャツをつくったと言われていた人がま だ生きてたんですよ。
でもその時は入院していてインタビューができなくて。
そのうちエラリー・チャンが亡くなってしまって、同時に妹さんも亡くなってしまった。
その記事を見たんですよ。
このままじゃ何もわからなくなってしまう、これは大変だってことで、妹さんが鍵をにぎっているというのは分かってたので、もう一度問い合わせをしたんで す。そしたら妹さんの息子さんに会えるって話になって、そこから二冊目の本づくりが始まったんですよ。
僕らは日本人がつくったアロハシャツっていう前提で調べてたんだけど、世の中ではエラリー・チャンがつくったものになっている..と。
おいっこのアーノルド・ラムっていう…エセル・ラム・チャン(エラリーの妹)の息子がいたんですけど、その息子のアーノルドがハワイで弁護士をやっていて お母さんの遺品とか当時のアロハシャツの資料をもっている、会ってもいい、というので飛んで行ったんですよ。
そしたら、僕がアポイントをとった前の日に急にアメリカのスミソニアン博物館が慌てて飛んできて全部もって行っちゃったんですよ。
どう理解したらいいのか分からないんですけど、結局、ハワイっていうのはアメリカ合衆国の五十番目の州で、歴史的にはアメリカにとってハワイの歴史という のは戦後の話なんですよ。
アロハシャツっていうのは戦前から..五十年代の終わりぐらいまでがピークで、その時っていうのはアメリカに統治はされていたけど合衆国ではなかったんで す。
アメリカもハワイっていうのは自分たちの国として重要視してなかったんですね。
アロハシャツに関しても、うちが本を一冊目だして、その前にアメリカのトーマス・スティールがアロハ本出して、何冊か洋書もでて、それから動きだしたんで すよ。
多分、アロハシャツをアメリカの歴史にしたかったんでしょうね。
スミソニアン博物館っていうのはアメリカの歴史は浅いので、歴史をつくるためにつくった博物館ですから、そこに収蔵されるとアメリカの歴史になるわけです よ。僕が二冊目の本を出すとこれは日系人の歴史になってしまう、それで慌てて全部もって行っちゃたわけです。
その年からアロハシャツはアメリカの歴史になり、エラリー・チャンはアロハシャツを発明した人という歴史ができちゃったわけです。
─アメリカと歴史の取り合いになってしまったんですね。
■小林:アー ノルドはそういう気持ちじゃなかったので素直にインタビューに答えてくれたんですけど、実際のとこ伯父さんのエラリー・チャンっていうのはものすごく頭の いい人で、エール大学を卒業してハワイに戻ってきて家業を継ぐんですが、雑貨屋さんだったんですね、そこでは洋服はやってなかったんです。戻ってきたエラ リー・チャンは何か商売がうまく行く方法はないかと考えて、アロハシャツという、キングスミス通りの向かいにあったムサシヤさんという洋服屋ですでに売っ ていたシャツを同じように売れば商売になると思ったんですね。
そして、1ダースオーダーしたシャツがアロハシャツといわれる最初なんですね。つくったのはムサシヤでアロハシャツっていう名前をつけたのはエラリー・ チャンなんです。これが事実なんです。
その当時1935-6年なんですけど、実際アロハシャツが商標登録されたのは36年なんです。
名前を使い始めたのが35年らしいんですね。
35年ぐらいにアメリカの連合艦隊がハワイにやってくるようになって、土産ものなんかをつくると売れて市場が潤うぞっということで、エラリー・チャンがア ロハって名前をつけたシャツをムサシヤにつくらせて売ったのがきっかけということです。
まーこんな話をとくとくと聞いて、そこから2冊目の本作りが始まったというわけです。
そうこう調べていくうちに、ホノルルなんかにいると感じないんですがハワイ島なんかにいくとやけに日本情緒だとか、わび、さび、風情というものを感じてし まうのです。
「ハワイだけはなじめた」
─それは何ででしょうかね?
■小林:そこに日系人の存在が色濃くでてきて、そこに日系移民というのがいかにハワイの文化っていうものをつくり上げていったかというのが見えてきちゃったんですね。
以前は波乗りやゴルフとか買い物なんかの観光で楽しんでたんですけどね。
仕事で行くようになってから実際に現地の人の生活を見て、その中にいる大半が日系人だっていうそんな文化をみてきたら全くちがうハワイが見えてきちゃった んですよね。
そこで本をつくる時にハワイ大学の教授に話を聞いたりしているうちに知り合ったのがバーバラ・カワカミさんで、日系人なんですけどハワイの日系移民の衣料 文化を研究しているおばさんで本もだしてるんですよ。
本の資料や話を参考にしながら、だんだんハワイ日系移民の文化、弁当という名前がハワイではハワイ語になっているとかね。
いかに日系移民がハワイを創ったかということがおもしろくなってきて。
実際に日本語がハワイの言葉になっているものも沢山あるしね。
─ハワイに私たちが惹かれるのはそういうこともあるのでしょうか?
■小林:ハワイの良さってなに?ってよく聞かれるんだけど…海や空、自然があって常夏とかあるんだけど、日本人が居心地がいいって理由のひとつには日系移民の文化が入っているっていうのもあるよね。
それと仕事で各国いくんだけど、どうもその国の文化になかなかなじめない、でもハワイだけはなじめたんですよね。
それは日系人がいるっていうのもあるけど、ハワイの一番アロハな部分っていうのは、来るもの拒まず、チャンポンしてまぜこぜにしてひとつになる、「それが ハワイの文化だよね」というところがみんなをとりこにするところでしょうね。
音楽や食べ物、言葉や人種にしても全てがオリジンというよりもそこに集った異文化が組み合わさってできたものがほとんどだなって、もともとハワイにあった ものってなに?って考えたらほとんどないんですよ。
─そういわれてみればそうですよね。
■小林:ハワイに当たり前のようにあるハイビスカスもアフリカからもってきて日本人のガーデナーが何千種類にも増やしたっていうし。その歴史的功績はすごいですよね。
そんなことを考えていくと、もともとあったものが見あたらないんですよ。
そもそも何種類かの灌木、元々自生していた植物、獣もいなかったし鳥が少しいたぐらいじゃないですかね。
古代の歴史なんかみてると、元々ハワイにいた土着民は人食い人種だったなんていう話もあるぐらい。人間の骨でできた釣り針とかが飾ってあるじゃないです か。
でも、その人たちもポリネシアから渡ってきた人たちって話をきくと、もともと何もなかったとこでそこに色んな国の人たちが入っていってそこに新しい文化が 生まれたんだろう。と思うわけです。
だから何も知らないでいっても空港で仲間になれちゃう。そこが一番の魅力なのかなって。
アロハシャツの話にもどると(笑い)アロハシャツメーカーの後継者たちと会ったわけですよ、トリ・リチャードとか。僕らの歴史の中にでてくる古いメーカー の末裔みたい方たちもいるんですよ。
途中から始めたメーカーの息子さんもいるし。
でもほとんどは『アロハシャツは売れない』と、Tシャツがメインで『アロハシャツを着る人はもうハワイにいないんだ』と。なげやりなんですよ。
数社がある程度お店を展開してるだけで、ほとんどは免税品でね、専門で売ってるとこはないぐらい。しいていえばレインスプーナーぐらいなんですよ。
日本で僕らがアロハシャツって騒いでるのにハワイじゃ全然盛り上がってない、だったら自分たちで少しずつ残していくってことをしていきたいと思ったわけで す。
─ハワイでトラディショナルなアロハを着てる人は少ないですよね。
■小林:制服的に着ている人は多いですね。アロハフライデー以降、公の場で着るのが許可されて、それが定着したためにカジュアルで着なくなったんでしょうね。
まあ、あとはアロハシャツの歴史的な事は本に書いてあるんで、それ見ていただければだいたい解ると思いますよ。また変わってくるのもあるでしょうが。これ からも継続し、調整して行かなきゃいけないと思ってます。
「古い物はハワイでは集めない」
─今、ハワイにはビンテージと呼ばれているもの少ないですか?
■小林:僕 らもコレクションとか古い物を集める時はハワイでは集めないんですよ。やっぱり土産物として売ってて海外に出て行ってしまう物がほとんどで、ハワイで唯一 高いアロハシャツを売ってる所があるんだけど、みんな本土から買い戻して来てるから高いんですよ。基本的には年寄りの、当時ハワイに旅行して買って来た物 を持っている人たちっていうのはコレクションの対象になる獲物なんですけども。だからハワイコレクターが行く場所っていうの、サンフランシスコ、シアト ル、ロサンゼルスとか港がある古い町が多くて、そういうところにアロハシャツがけっこう眠っているんですよ。
─コレクターとしても2000着近く持っていらっしゃるということなのですが、やはりそうやって探し出したのですか?
■小林:ど うだったかなあ?一着一着見つけて歩いた時代もあったんですが、基本的にはネットワークでコレクターが持ってる物をお互い情報交換の中で買うということで すね。中には年とって手放す人もいるし、それこそ死んじゃって遺品になってる物もあるし。そういう物を集めるケースもありますね。
─日本でもアロハがブームになった時ありますよね?そういう面では日本っていうのはかなりコレクションの数が残ってるってことですか?
■小林:安 いんじゃないですかね一番。ビンテージを買うんだったら日本が一番安いね。ブームになったというか一時ブームになった時、あの頃っていうのはビンテージ古 着ブームでもあったし、古着屋さんがかなり仕入れていて、バブルが崩壊して売れなくなって、仕入れたけれど売れなかったのがそのままの値段で残ったんです よ。ただ、ジーンズなんかと違ってアロハシャツっていうのは世界的にコレクターがいるんで海外需要の方が多くてアメリカやヨーロッパの相場が高いんです よ。だから日本の古着屋さんで、もし程度の良い物が見つかれば一番安いんですよね。一番高いのはハワイですよね。
「すごい資料が見つかった」
─小林さんがサンサーフを展開していって、ジョン・メイグスと巡り会ったのはどういう経緯で?
■小林:ジョン・メイグスに関しては、今、僕と一緒に仕事をやってる、マウナケア・ギャラリーズ(ビッグアイランド・ヒロ)っていう店のオーナーがいて、彼が持っていたコレクションの中にジョン・メイグスの資料があったんです。それを、シアトルのコレクターが買ったんです。
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| ジョン・メイグス | |
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マ ウナケア・ギャラリーズのオーナーはハワイアナって言われるアロハシャツを含めハワイのアンティークを販売していて、その時は僕はまだオーナーと知り合っ て無かったんですね。その資料というのがジョン・メイグスの昔のデッサンだったり原画だったりしたのです。そのシアトルのコレクターはその中に色々と見た ことが無いデザインがあってそれをもったいないって思ったんじゃないですかね。そのコレクターがそれをなにか商売に使いたいって考えて、ある人を介して僕 の所に連絡が入ってきて、興味があるかないかっていう話で、僕も興味があったんで、じゃ見に行きますよってシアトルに見に行ったんですよ。その時に『これ はすごい資料だな』と。その人が見るより僕が見た方が遥かに内容的にはよく分かったんですよね。
ただそれが本物かどうか本人がいないとわからないって言う話をして帰って来たんです。その後本人が生きている、アリゾナに住んでるっていう話があって、本 人の所へ行ってその資料を見せたら間違いなく本物だったんです。ジョン・メイグスは唯一当時からアロハシャツのテキスタルデザイナーとして名前が通ってい た人だったんです。
ご存じかもしれないですが、ゴーギャンの絵をアロハシャツにしたということで当時話題になったんです。それは、「カメハメハガーメント」というブランドで 出したんです。モチーフがたまたまハワイの物じゃなくて有名な芸術作家の作品をモチーフにしていたもので、オリジナリティーと作品性が高いと言うことで当 時すごく評価されたんですね。そんな彼の代表作のスケッチも中に入っていたんです。
─すごいものが見つかったなという感じですね。
■小林:話をしているうちに、彼は昔のこと思い出して、「自分は3作か4作書いたんだけど、実際に製品になったのは2作だったと。残りのはまだ絵のままで製品化されてないんだよ」っていう話になって、じゃあそれをどうにか製品化できないかと思ったんです。
その話を持ってきたシアトルのコレクターっていうのがあんまりいい人じゃなかったんですね。最初にそれを製品化して金儲けを企んだんですね。ラルフローレ ンとかアメリカの名だたるメーカーにそれを当時と同じビンテージのハワイシャツでまず復刻できないかと話しに行ったんだけど、何処もできなかったんです ね。それで再度僕の方に連絡が入って来た。
ジョ ン・メイグス本人もそれをどうにか製品化したいと思っていて、できるのはうちしか無いよ、ってなってどうにかできないかってなって、本人にまた会いにアリ ゾナ・サンタフェへ行ったんですけど、本人の所に言って話を聞いて、じゃー一緒にやろうかということになったんです。
そして、デザイン料じゃないですけど、その当時はジョン・メイグスはすでに80代半ばくらいだったんですね。独り者で貧乏じゃなかったですけど周りの人が フォローしてないって言う状況だったんで。まあ、彼の活動費って名目でお金を支払いますよ、っていう事でジョン・メイグスの50前のデザインを復刻するっ ていう作業が始まったんですよ。
200作品くらいあったのかな、当時デザインして製品化されなかったのが。彼は実際に何百作品って作って世の中に出したんですけど、それ以外の製品化され なかった200作品を順次作っていこうという事になったんですね。当初は彼も元気だったので、『今から新しい作品を描くよ』、と。新作が2作品くらいあっ たんですよ。でもそれ以降は高齢ということで継続は不可能だと。で、『お前がやれ』って言われちゃって『いや、俺、描けないし』っていうんでケオニ・オ ブ・ハワイというジョン・メイグスのブランドは新しいデザイナーの登竜門にしようかってことになり、ジョン・メイグスじゃなくて、ジョン・セバーソンです とか、ハワイで活躍している作家ですとか、日本の作家に依頼して作品を作るブランドに替えたんですよ。
─そうだったんですか。そうすると今後ジョン・メイグスが作った新作、まだ製品化されていない200くらいあるものは?
■小林:それは50年前の作品なんで世の中に出せるんですけど、新しい新作はもう作れないですね。
─今後はケオニ・オブ・ハワイと言うブランドはジョン・メイグスの古いデザイン物も出てくるということですか?
■小林:ジョン・メイグスの歴史とかその灯火を消さないように。名前を出す時には彼を紹介しながら、リスぺクトしたデザイナーにジョン・メイグスのかわりになってもらってオリジナル作品を提供してもらうという形にしようと思っています。
3年前位から作品の売り上げをアーノルド・ラム(エラリー・チャンの甥)が中心になってやっているハワイネイティブピープルの保護活動団体に寄付してるん ですよ。それをずっと続けようかなと思っています。
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