映画「ザ・ライド/ハワイアン・ビーチ・ストーリー」のネイザン監督インタビュー

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−ハワイアンスピリットを伝えるサーフ&ラブ ムービー−
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ご覧いただけましたか?見た方も、まだの方も、このインタビュー、読んでみてください
監督・脚本・製作をした、ネイザン・クロサワ氏のインタビューです。

【最新上映スケジュール】
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6月23日(土)~7月6日(金):湘南・ワーナーマイカルシネマズ茅ヶ崎
映画『ザ・ライド/ハワイアン・ビーチ・ストーリー』
2週間期間限定特別上映決定!
一般¥1700、学生(大高生)¥1500など
ワーナーマイカルシネマズ茅ヶ崎
TEL:0467-57-1000
詳しくは→http://www.glassymovie.jp/ride/
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ネイザン・クロサワ監督インタビュー

Q:この作品を撮るきっかけは何だったのですか?
N:ここ何年間か、サーフィンにはよくないイメージがつきまとっていると感じていたんだ。多分、コンテストにまつわるマーケティングや商業主義が原因だと思う。 y38_02.jpg プロ・サーキットと、サーファーたちの海の中でのスポーツマンらしからぬ態度を否定的に見てしまうのは、サーフィンが他のスポーツとは違って、本来、高貴な、精神的な究極の娯楽であり、古代ハワイアンが自然と一体化するためのものだったからだ。私たちはデューク・カハナモクの教えを通して、本当のサーフィンのスピリットを、もう一度みんなに知ってもらいたいと考えたんだ。


 

Q:映画はいつどこで撮られたのですか?
N:2001年の夏にオアフで撮影。オープニングシーンだけは、その何ヶ月か後にハンティントンビーチで行われた、本当のUSオープンのコンテストの時に撮影して、ワイキキビーチのシーンはバーバーズ・ポイントのあまり人が来ない白い砂のビーチで撮影したんだ。

Q:役者は全てオーディションで選んだという話を聞いています。彼らを選んだ理由を教えてください。
N:キャスティングはすべてハワイでやりました。
ハワイ出身で、ローカル丸出しの話し方をしていたスコットにとって、カリフォルニアのサーファーの役というのは大変だったと思う。ハワイ大学で演劇を専攻していたから、スコットはキャストの中でただ1人、役者経験のある俳優だったんだ。他の役者はカメラの前で演技したことがなかったし。デューク役のシーンは、撮影当時はミュージシャンだったし、レイファ役のパアラニはモデルをしていたし。 y38_01.jpg
一番苦労したのはデュークのキャスティング。実在の人物というだけでなく、ハワイアンの象徴とも言えるから。彼のカリスマ性や性格は、記録にも残されていて、実際に覚えている人たちも多い。そのパフォーマンスは彼らの記憶とマッチしていなければならないし、信じられるものでなければならない。デュークの役には映画の成功がかかっていると思った。撮影の2週間前になっても、デュークの役が決まっていなかったので、このプロジェクトはキャンセルになるかと思ったところ、幸運に友人がシーンを紹介してくれたのでオーディションしてみたんです。正直、オーディションはあまりよくなかったけれど、直感で彼なら絶対うまくいくと。なぜなら彼の人柄がデュークを思い起こさせたから。スポーツマンでのんびりしていて、ユーモアも持っていて、何よりも、生まれつきのウォーターマンで、すごく謙虚。映画が公開されてから、誰もがシーンの演技を絶賛してくれました。彼はみんなの記憶に残るキャラクターを作り出すという不可能に近い仕事を見事にやってのけたのさ。
 

Q:映画を撮っている中で、印象的なエピソードなどありましたら教えてください。
N:撮影でもっとも印象に残っているのは、あの重いレッドウッドのボードで波に乗る彼らを見ていると、本当に1911年にタイムスリップしたような不思議な気持ちになったことかな。 

 
Q:監督自身、脚本を書く上で一番何を大事にして書いたのでしょうか。
N:本当のハワイをテーマにすることが大切だった。アロハ・スピリットはいろいろな言い方で、異なる言語や文化で表現することが可能だと思う。でも、ハワイのストーリーとセッティングの中で表現された時こそ、その言葉は光るし、観る人も理解しやすいと思ったんだ。

Q:100年前のハワイを再現するにはとても大変な努力があったと聞いています。現地の人たちが助けてくれた話など。詳しくお聞かせください。
N:クルーは限られたバジェットで1911年のハワイを再現するという素晴らしい仕事をしてくれた。ロン・コンドンの撮影は文句なしだったし、キャシー・ヴァルドビーノは当時の服を作ってくれ、リック・ロマーのプロダクション・デザインは非常に正確。アルヴィン・カブリーナはどこからかアンティークの小道具を探し出して来てくれた。そしてジェイ・バーレンズはビショップ・ミュージアムから1911年のボードのテンプレートを借りて、レッドウッドのサーフボードを作ってくれた。
カハナモク.ファミリーの家は、実際に1911年に建てられた家を使って撮影した。まるで博物館のように、当時のままに保存されている家だったのでとても助かったよ。
 

Q:デュークはどんな人物だったと思いますか。また彼は監督初め、ハワイアンにどんな影響を与えた人物なのでしょうか。
N:残念ながら実際にデュークに会ったことはないのだけれども、ハワイの人なら誰でも彼をアロハ・スピリットの象徴として見ていると思う。彼はオリンピックの金メダリストで、有名人であったにも関わらず、常に謙虚でワイキキのビーチボーイであり続けたから。

Q:音楽がとても印象的でした。これらの音楽を選出された理由を教えてください。
N:サウンドトラックの90%はハワイアン・ミュージックです。ハワイの才能あるミュージシャンを紹介したいと思ったんだ。彼らは、もっと注目されるべきだからね。それに、キャストやクルー同様、音楽もローカルでやりたかったんだ。


y38_03.jpg Q:純粋なハワイから生まれた映画(ハワイ映画)が日本で上映されるのは初めてです。ハワイの人たちの手によって作られた映画とアメリカ本土の人たちがハワイを舞台に撮る映画との違いは何ですか。
N:ほとんどの場合、ハリウッドのフィルムではハワイを単なる背景にしか使っていない。この島に住む人々やアロハ・スピリットがそのまま映し出されていることはないんだよ。


Q:監督になろうと思ったきっかけは何ですか。普段はどのようにハワイで過ごしていますか。
N:私の家族はみんな芸術的な才能に恵まれています。全員が絵を描くんですが。兄弟の1人はディズニーのアーティストで、もう1人は建築家。僕の場合は、彼らと違う方向、つまり書くことや文学に進んだんだ。だから映画というのは、僕にとっては、ヴィジュアル・アートと書かれた言葉がいっしょになった理想的な媒体だった。ロス・アンジェルスに15年住んだ後、2002年にハワイに戻ってきて思ったことは、ここは本物のパラダイスだということ。

Q:私達・日本人はハワイが大好きです。ですが、ハワイのマナの精神を理解している人はいないと思います。この映画を見ると、ハワイの過去を知ることこそ、また全てのものに対してのリスペクトの意を知ることこそ、ハワイをもっと好きになるきっかけになるという風に感じました。監督は、この作品を通して私たち観客に伝えたかったことは何ですか。
N:アロハ・スピリットを持って暮らすと人生は、必ず良い方に変わる。"お互いに優しく、そして尊敬を持って暮らす、"これがアロハ・スピリットの神髄だと思う。1911年に戻ることはできないけれど、1911年の価値観を持ち続けることは可能だと思う。

Q:日本のお客さんに、メッセージをお願いします。
N:日系人である僕は、自分のルーツをとても誇りに思っている。日本の文化は敬意、名誉、美徳といったものを大事にする。この映画がハワイと日本という2つの文化の架け橋となり、ハワイと日本の新しい関係を築くきっかけとなれば、これほど嬉しいことはありません。

2007年4月12日         (提供:グラッシィ株式会社)

 


ネイザン・クロサワ(監督・脚本・製作)

 

y38_00.jpg 1965年2月12日生まれ。

ハワイ・ホノルル出身。

カルフォルニア大学サンディエゴ校から文学及び創作で学士号を授与され、ロスのロヨラ・メリーマウント大学からフィルム・プロダクションで学士号を受けた。アメリカ本土へ渡り以後、15年間住むが、2002年にハワイへ戻り、映画製作に携る。

ネイザン・クロサワの名はハワイ国際映画祭の開催後、地元ではもはや知らない人がいないというほど知れ渡った。それ以前は、ショートフィルム『カメハメハ(Kamehameha)』が、シネマパラダイス・アイランド・インディペンデント映画祭で、ハレ・キオニオニ賞を受賞。また1996年には、息子の死に翻弄されて現地に生活する日本人の父親を題材とした『カドマツ』でベスト・ショート映画観客賞の受賞。本作のプロデューサーであるウエスレイ・ナカモトと再び組んで、次回作への構想を練っている。今度はウクレレをテーマに挑む予定。