書籍”AOR AGE Vol.13” マラニ・ビリュー追悼特集…私もマラニについて書くおく

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カラパナのリード・ヴォーカル
マラニ・ビリューの訃報が届いたのは
2018年も終わりに近づいた12月27日

このニュースを聴き、なんともいえない喪失感を味わった
年末の慌ただしさが、そんな気持ちを増幅させ
何か書かなければと思いながら
Facebookで伝えるぐらいしか出来なかった

間もなく半年が経ち
カラパナの夏が近づいてくるが
先日、AORの専門誌”AOR AGE Vol.13”をディスク・ユニオンで目にし
「追悼マラニ・ビリュー」のタイトルに惹かれて購入した
そうだ…これを機会にやはり何か書いておかなければとなったしだい

マラニがいなくなりオリジナルメンバーはDJ一人に

まずは簡単にカラパナについて書く

カラパナの結成は1973年のこと
”セシリオ&カポノ”に続く才能を求め
マネージメントありきで集められたバンドだった

オリジナルメンバーは4人

Malani Bilyeu |マラニ・ビリュー
Mackey Feary |マッキー・フェアリー 
David John Pratt | DJ プラット 
Kirk Thompson |カーク・トンプソン 

マラニとDJプラットは幼なじみで
二人でバンドをやっていてスカウトされる
そこに、マッキーとカークが加わったのが
最初のカラパナ

初めから
メインランドでの成功を目指し造られたバンドで
1975年のデビューアルバム
『Kalapana(邦題:ワイキキの青い空)』
ロサンジェルスでの録音だった
思惑どおり、このアルバムは大ヒット
カラパナは日本でも人気となった

さらに、二枚目のアルバム
『Kalapana Ⅱ(邦題:ワイキキの熱い砂)』
更なるヒットを記録したが
その後は、メンバーの交代、脱退、再結成などなど…
紆余曲折がありながらも活動は続いた

マラニもDJと音楽の方向性が異なると
79年に脱退し、ソロ活動に入るが
82年のリ・ユニオン・ライヴ
マッキー・フェアリーと共に復活した

しかし、マラニと並ぶメインヴォーカル
マッキーの死などで
一時は開店休養状態であったが
根強い日本ファンの支持などもあり
現在に至っている

カラパナについては、また書く機会もあると思うので
このへんにしておく

(For You) I’d Chase A Rainbow (Live At The Waikiki Shell 1984)

カラパナの魅力は両雄並び立つ素晴らしいトゥイン・ヴォーカル

Malani Bilyeu|マラニ・ビリュー

マラニについて書く

カラパナでは”リード・ヴォーカル、ギター、パーカッション”
さらには、ソング・ライティングも手がけていた

”AOR AGE Vol.13”の中で
マラニとマッキーは
「一緒にやっていたときは”犬猿の仲”」だったと
リーダーのケンジ・サノは語っているが

マッキー・フェアリーのセンシティブで
美しいが危なげな声と
その声を支えるマラニのハワイイらしい
おおらかで暖かい声

この異なる声のトゥイン・ヴォーカルは
最高の組み合わせだった

マラニの代表曲はいくつもあるが
「Naturally」「Manny Classic Moments」
「(For You)I’d Chase The Rainbow」
「Molokai On My Mind」などは
皆が納得するのではないだろうか 

Kalapana- Naturally

THE ORIGINAL ALBUM COLLECTION」
リマスターCDボックスセット発売したばかり…

マラニは69歳だった
1949年6月13日生まれ
幼少はオアフ島のカリヒで育ち
子供の時は教会で歌っていたという

最近はカウアイ島に住み
牧場でバッファローの世話をし
夜は、ハナレイの小さなバーで一人演奏していた

去年の初め頃、心臓の手術をしたとの噂を聞いたが
2018年夏にも来日
その後、メインランドでツアーもおこなっていた

ヘンリー・カポノによると
亡くなる二週間前に一緒だったそうだ
死因は突然の心臓発作と伝えられている

奥さんに子供、孫、曾孫がいるハワイイらしい大家族
ベトナム戦争にも従軍し最前線で戦ったと
以前インタビューで話してくれた

他のメンバーは、日本でEXILEなどと仕事をしたり
カラパナ以外の仕事をしていたが
マラニは不器用だったようす
カウアイ島暮らしでメンバーと密に繫がっているようすもなかった

以前、マラニが山内雄喜氏
「テレビを見ていたら
 自分のいないカラパナがライヴをやっているのに驚いた」
 笑いながら話していたという

さらには、昨年発売されたカラパナの
「THE ORIGINAL ALBUM COLLECTION」
リマスターCDボックスセットのエピソードとして知ったのだが
初期のヒット作の原盤、版権は
当時のマネージャーにとられていて
彼らには印税がはいってきてなかったというのだ

かってのハワイイ音楽業界では、ありがちな話といえるが

その権利をやっと取り戻し、発売したのがこのCDボックス
2019年のナ・ホク・ハノハノ・アワードにもノミネートされ
これから、経済的にも安定したかも知れないというところだった

このあたりのことは、
”AOR AGE”佐藤淳氏のインタビューでも語られている

マラニの想い出

私の想い出としては
2006年 カラパナが夏に日本ツアーを始めた頃だと思うが
青山でインタビューをおこなうことができた

マラニの隣だった…

ハワイイのミュージシャンにはめずらしく
質問項目を事前に欲しいとリクエストされた

やはり、メインランドでやっていただけあって
しっかりしているのだなと思ったが
始まったインタビューは、脱線しっぱなしの楽しいものだった

しかし、真面目なグループのコンセプトなど
事前に渡した質問項目になると
メンバーが、答えをマラニに振る
そして、マラニはきっちりメモを読みながら答える
それを他のメンバーが眺めているといった感じだった

あとで、ケンジ・サノが教えてくれたが
あらかじめ質問を知りたいといったのはマラニで
そのすべてに答えを用意していたのだそうだ
そんな生真面目な一面が印象に残っている

45周年に向かってカラパナは続く

マラニの葬儀はカウアイ島でおこなわれ
翌日、オアフ島カヴァイアハオ教会でもおこなわれた
ヘンリー・カポノ、もちろんカラパナも演奏した
その様子はケンジ・サノのインタビューに書かれている

そして、そのときただ一人になった
オリジナルメンバー DJプラット
カラパナの存続を明言した
カラパナはこれからも続く

私にとってカラパナ
若かった
あのときを懐かしむだけのバンドではない
リマスター版のCDを聴くと
70年代から愛し続けたたカラパナの音楽は
全く色あせることなく
今も心に響いてくれる

しかし、マラ二マッキーもいないカラパナ
来年45周年を迎える

マラニカネオヘ
”the Hawaii Veterans Cemetery” に眠っている

マラニのソロ・アルバムにあらためて注目を!

上がオリジナルで赤いジャケットは国内盤

皆さんには、マラニのソロ・アルバム
素晴らしいので是非聴いていただきたい

代表的な一枚は1983年リリースのファースト・アルバム
”ISLAND”だが

私のお奨めは

2009年にリリースされた”WATER SONGS”

[blogcard url=”https://8011web.com/malanibilyen-2014cd/″]

最後のソロアルバムとなってしまったわけだが
アルバムの最後の一曲は
「Only Good Times」
この名曲が山内雄喜のスラック・キー・ギター
マラニのヴォーカルで聴ける
たまらない一曲になっている

マラ二の歌声は、まさに私のOnly Good Timesだ

遅くなったが
R.I.P Malani Bilyeu

 

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