残暑お見舞いの季節ですが…
今年はまだまだ暑中見舞いで充分
そんな熱い日本にさわやかなハーモニーを!
「HAPA|ハパ」が来日しています
リニューアル前に掲載していた
2012年にアップしたHAPAのインタビューを再掲載します
バリーとロンの出会い、ネイサンへの思いなど興味深い話になっています
このインタビューは2012年6月におこなわれました
長いインタビューです
じっくりお読みください
———————————– 以下 再掲載 ————————————–
2010年末、HAPAのバリー・フラナガンとネイサン・アウェアウが
解散したというニュースが伝わってきた
バリーとネイサンのコンビは最高だと思っていただけに
残念に思いHAPAはどうなるのだろうかと心配もした
しかし、2011年になるとバリーは
ロン・クアラアウとコンビを組み日本にやってきた
ロンはマウイで活動するミュージシャンで
フランツ・カヘレとのデュオグループ「Koola」や
数枚のソロCDを出す実力派コンテンポラリー系のミュージシャン
バリーがハワイにやってきて最初にハワイ・ミュージックを
教わったのがロンだったという因縁もあるそうだ
昨年は,お互い手探りで演奏している感が強かったが
インタビュー後に聞いたライヴでは息もぴったりで
素晴らしいハーモニーを聞かせてくれた
HAPAらしさはそのままに新しいハーモニーが生まれ
心地よさはさらにアップしていた
才気あふれ、野心家のバリーと言葉少なで,典型的なローカル・ハワイアンのロン
二人のコンビが今後どのように熟成していくのか楽しみだ
二人の出会い、ネイサンと分かれた理由(バリーの言い分)
今後のHAPAなど楽しいインタビューとなった
取材協力:株式会社パルコ、アグネス ホテル アンド アパートメンツ東京
ビルボード・ライヴ・東京
通訳:住友玲子
インタビュー/写真 Uncle S
二人は32年前からの友人で師弟関係
Q : 2人で活動を初めて1年半くらい経ちましたが、どのような感想を持っていますか?
Barry:二人でやることになった理由は、32年前に戻らなければなりません
ロンは僕にとっての音楽のメンター(師匠)で、HAPAを始める前からロンとは出会っていました
お互いに長い間ミュージシャンとして活動し、師匠の一人でもあったロンとコンビを組めるのは、
僕の人生にとっても、とてもスリリングで嬉しいことです
ロンとのコンビで特に素晴らしいのはハーモニーだと言えます
これまでにHAPAとして3人のパートナーと組んでききました
ネイサンは素晴らしいソロシンガーでしたが
ハーモニーを創る上で二人は最高のパートナーと言えなかったかもしれません
HAPAは「ハーモニー」を非常に大切にしています
ハーモニーこそがHAPAの音楽なのです
その意味でもロンとのコンビは良いものになるはずです
先日ビッグアイランドで、僕のことを15年くらい知る仲間たちに会いました
彼らはロンとは初対面でしたが
僕とロンの演奏を聞いて
未だかつてない美しいハーモニーだと賞賛してくれました
うれしかったし、ロンと組んで良かったと思いました
1980年頃、僕とロンは偶然ラハイナに移住してきていました
僕は当時、多くのミュージシャンに教えてもらいながら
スラック・キー・ギターを弾いてたりしていました
そんな時
「ジェームス・テイラーみたいに凄い音を奏でる奴がいるから、会ってみなよ!」と
勧められて会ったのがロンでした
それが僕たちの初めての出会いです
それから僕は多くの時間をロンの家で過ごし
一緒に曲を作ったりアレンジしたりしていました
Q : 今まで一緒にやっていた人たちとロンの声質は違うので
音楽の幅が広がったと去年のライヴを見て思ったのですが?
Barry:最後に私たち二人のHAPAを聴いたのはいつですか?
Q : 去年(2011年)のコットンクラブと12月のLIVEですけれど
Barry:その時から80回以上コンサートで演奏しているし
おそらく1000時間以上リハーサルを
行ってきているから、今はもっとよくなってきているはずです
約18か月間、ずっと2人で仕上げてきましたからね
Q : 昨年は手探り状態だったと感じましたが、完成したといえますか?
Ron : 完成することはないかもしれないな
ハーモニーは毎日進化し変化していくもの
そしてよくなっていくものだから
1年半でだいぶ成長したとはいえますね
ハーモニーは,それ自体がオハナ(家族)みたいなものだからね
Q : ロンは32年前マウイで初めてバリーに会ったときどう思いました?
Ron : なんか、本土からクレイジーな「ハオレ・ガイ(白人の男)」が来た!」と思ったよ
だって、ラハイナ界隈を、肩の上にオウムを乗っけてブラブラ歩いていたんだから!
そんな人、ハワイでもいなかったし、すごく目立っていた(笑)
Barry : その頃の写真がこのアルバムの写真
そのときに、僕はロンから“ワヒネ・イリケア(Wahine ‘Ilikea)”を教えてもらいました
その時教えてもらったコードをいまもはっきり覚えているよ
トム・セレック(1980年スタートのTVシリーズ『私立探偵マグナム』に主演し人気を博した)を
彷彿するアフロヘアーだよ
この当時はこれが一番流行していたから
Ron : まぁそんなわけで「クレイジーな白人だなぁ」と思っていたけれど
音楽のセンス、ギター、歌は抜群でミュージシャンとしてすごいと思っていたよ。
Barry : 当時のマウイの音楽シーンは強烈で勢いがあった
特にデュオで歌うことにおいて、その頃のマウイ島の音楽環境は最高だった
ハワイ全体で言えば音楽は色んな意味で過渡期だったね
今,マウイ島にその当時の環境はないですけれど
その頃ロンはKoolaというデュオ・グループで演奏していました
(8011memo : コオラ:ビッグアイランド出身のフランツ・カヘレとの
ハワイイアン・AORデュオ今聞いても凄いサウンドです)
二つの音のハーモニーは、本当にそれがぴったりとハマったとき、非常に美しい
私は一番美しいと思っている。
三声のハーモニーよりも、二つのシンプルな音のハーモニーが
本当に噛み合えば二声のほうが美しいと思うくらいです
そのことを教えてくれたのはロンで
美しいハーモニーのインスピレーションを僕に与えてくれました
ネイサンと別れた理由とは?
Q : 繰り返しになるかもしれませんが
昨年バリーがロンと一緒にデュオを組もうと思ったのはなぜですか?
Barry : ネイサンはデュオプレーヤーではなくソロ向きであったし
彼の指向もそのようなものだったと思います
ネイサンはドンホーのバック・ミュージシャンとして
15年間やっていたという経歴もあるし
ソロでやることを望んでいた
彼のスキルもその想いと共に上達し、自信をつけていった
それは素晴らしいことだと思っている
僕たちは今でも良い友人だよ
ただ、HAPAとして考えた時
HAPAの特徴はハーモニーであって
ソロの集まりではないから考えなくてはいけない時期に来ていました
そんなときに、ロンとデュオを組むことになったのだけれど
それは本当に魔法のような感じだった
ネイサンが、HAPAを去るという申し出を二人が別れる1年前にしてくれていたから
その間に次のパートナーを決めることができました
だから、ロンに電話して
「1年後くらいになると思うけど、一緒にHAPAをやらないか」と
声をかけることができたのです
そして1年後、もう一度電話して、改めて「一緒にやろう」とお願いしました
Ron:(その電話を受けて)
「バリー、いい時期だと思うよ」
「2人で昔の曲を昔のようにやろう」と言いました
ラハイナでバリーに出会ったときの頃のようにやろうと言いました
そこに戻れると思いましたね
Barry : 僕は、ハーモニーの大切さにこだわりたかった
ロンとなら、それが実現できると思ったのです
ハーモニーは人の心、スピリットに訴えかけるものがあります
ロンとのデュオは兄弟で歌っているような感覚に近いから
それが実現できると思いました
実際、僕が書いた多くのオリジナル曲はロンの家で作られている
僕にとっては心安らぐ相手がロンなのです
Q : ロンは32年前バリーがこんなに有名なミュージシャンになると思っていましたか?
Ron:バリーは出会った当時から才能があった
HAPAとしてデビューしてからもすごかった
いつも進歩していました
ハワイイのサイモンとガーファンクルに
Q : これも繰り返しになりますが、バリーにとってHAPAの音楽とはどのようなモノですか?
Barry : ハワイで新聞記者に取材を受けた時、彼らはHAPAのことを
ハワイイの“サイモン&ガーファンクル”と言ってくれました
光栄だと思ったし、それが答えかもしれないとも思いました
僕自身すごくそのたとえは気に入っています
音楽は同じ音のものはひとつもないってことを知ってもらいたいし
一瞬一瞬全て違う事も知ってもらいたい
料理と同じで、一品料理だけがずっと出てくるのではなく
色々な料理を出された方が楽しいのと同じですよね
ライヴでは、1〜2時間の間、オーディエンスに楽しんでもらいたいから
そのためにいろいろなテイストを出来る限りそこに投じていきます
デュオとしての音を楽しんでもらいたい
ステージに立つときはいつもそれを気にかけています
ハーモニーにHAPAの味付けをしてサウンドにしていく
それ以外にトークやジョークなんかも交えてね
こうしたエレメントを全部ミックスして
2人の男と2本のギターでエンターテイメントをして
ライヴにしていくのです
Q : ところでロンの事を日本のファンはあまり知らないとおもいますので経歴を教えてください
Ron :ホノルル生まれで6人兄弟
僕たち兄弟が小さい頃に父は死んでしまったけれど義理の父がミュージシャンだったから
いつも家で義理の父が音楽を演奏していました
小さい頃はミュージシャンになりたいとは思わなかったけれど
父だけではなく兄とか家族がいつも楽器を弾いているのを聞いているうちに
やってみたいと思うようになったのです
何か自分でも表現したくなったのですね
実際に自分で演奏したら、すごく楽しかったし
それでもっと音楽をやりたくなり
17歳からプロとして活動をはじめました
その当時、ハワイでは小学校二年生からウクレレを学校で習うんです
ウクレレを小さい頃から奏でていた経験が
音楽が好きになったことへ大きな影響があると思います
Q : ロンの過去の作品(Koolaのアルバム、ロンのソロアルバム)を聞くと
ハワイアン・トラディショナルというよりは
コンテンポラリー、メインランドのロックの影響を受けていますよね?
Ron : トラディショナルは美しいといつも思っていますが
コンテンポラリーの方が自分は没頭できるのです
義理の父はトラディショナル・ハワイアン音楽で成功していたから
同じジャンルで演奏するのはなんだかムズムズする感じがあって
自分は父と別なジャンルの音楽で成功したいという気持ちもあったかもしれません
自分にとってはコンテンポラリーを演奏していても
トラディショナル・ハワイアン音楽がバックグラウンドにあると思っています
違う音をいろいろ楽しんでいる感じなのかな…
そして再びバリーと一緒にやるようになって、
またハワイアン音楽に戻った感じですね
バリーが僕を原点に戻してくれました
Q : バリーは最近ステージでウクレレ弾いているけれど何か理由があるのですか?
Barry : いつも何か新しい音、違う音をクリエイトしていきたいと思っている
僕らは2人とも昔の“カウアイ・クレーター・ボーイズ”のサウンドが非常に好きなので
ウクレレをやろうと思いました
ウクレレでジョン・レノンの”LOVE”を弾いたりしています
オノ・ヨーコの前でも弾いたんですよ(笑)
ギターは自分の心にチュ−ンして弾くもの
Q : バリーのスラック・キー・ギターのファンが日本には多いですよ
Barry : うれしいな
僕は特別に上手いとは思っていないけれど…
きっとそれは
他のギタリストと異なっていてコンテンポラリーで
アンユージュアル(普通じゃない)だからかもしれない
日本の人たちはそういうのが好きなのかもしれませんね
ムーン・カウカヒ(マカハ・サンズ)などのオールド・タイマーから
スラック・キー・ギターの影響を受けて来ているけれど
1980年代に彼らは僕の弾くスラック・キー・ギターを聞いて
「トラディショナルを習おうとしなくて良いんだよ
基本的なチューンだけを覚えて
あとは自分の心にチューンをして弾けば」と言ってくれました
自分の心の音を演奏しろと
そこが僕のスラック・キー・ギターの原点になっています
Q : 通常スラック・キー・ギターのチューニングは何を使っていますか?
Barry : 特にこれと言って特別ものは使っていません。
Gはタロパッチ、Cは普通のCチューニングとシリル・パヒヌイから教わったCの2種類
ロウDは結構使うね、すごくシンプルですよ
(8011:バリーはロウDと言っていましたが
オープンDのようです、ドロップDではなさそうです)
Q : 時々、弾いている最中に大きくチューニングをいじっているけれど
あれはチューニングを変えているのですか?
日本のギター好きはとても気になっているけれど
Burry : 弾いているチューンからのトリックでチューン・チェンジしています。
4〜5種類のチューンを弾きながら変更しています。
ギターはウォッシュバーン・モントレーに
スティーヴ・グライムスのネック
Q : ギターはあまり変えていないみたいだけれど、今はどんなギター使っていますか?
サンバースト・ボディのギターを使っていますよね?
Barry : そうですね、あれはマウイでちゃんと自分のお金で買った初めてのギターなのです
1980年のウォッシュバーン・モントレーのボディーですが
普通のウォッシュバーン・モントレーと違うところは
ネックをマウイ島に住む有名なギター制作者
スティーヴ・グライムスのネックに付け替えてカスタムしました
彼はそのネックに13000ドルの値段をつけていた
僕にその金額を請求はしなかったけれどね
(8011: 2005年にインタビューしたときは1000ドルで買ったと言っていた)
すごく安いボディのギターに、すごいネックをつけたスペシャル・モデルです
だから、ネックをどんなに振ったり曲げたりしても壊れません。
何があっても壊れないこの頑丈なネックと共に、
自分のスタイルとか音を創り出してオリジナルを追及してきました
Q: よくネックをひっぱって、しならせていますよね?
Barry : そうそう、だからいいネックじゃないとダメなんです
Q : 日本人のアーティストも多く見ていると思いますが
印象に残っているミュージシャンはいますか?
Barry : アラニ(山内雄喜)だよ~彼のバイブレーションはすごいね
人柄も良いし、レコーディング・セッションも一緒にやったことがある
彼とはライヴを2回くらい一緒にやっていますね
Ron: アラニはいいよ!いつもビール飲んでいる(笑)フィーリングが凄いよ!
Q : 昨年HAPAのオハナというべきチャールズ・カウプが亡くなりましたが思い出とかありますか?
Barry : 彼のような人はもういないね、彼のようなチャントを唱えられる人もいないね
すごく寂しいです。
(本当に悲しそうな顔で…それ以上は語ってくれませんでした)
秋にはニューアルバムが
Q: ニュー・アルバムの予定は?
Barry: 新しいアルバムは、制作中で
カバー写真はキム・テイラーリースが撮ってくれています
フラをやっている人たちに向けてのアルバムになると思います
“プア・リリレフア“などのクラッシク・フラ・ソングや
フラに影響を与えた曲を入れたアルバムです
たぶん、今年の夏終わり~秋頃にはリリースできると思います。
( 8011:遅れたようで2013年8月にリリース)
Q : 以前のアルバム「MAUI」のときも
デザインやジャケットのイラストにこだわっていましたよね?
Barry : 今回は、その時よりも100倍くらいこだわっています
ロンから教えられたこと、つまり、ハーモニーの美しさをこのアルバムで聞いてもらいたいのです
以前、クム・フラ・ディナーがあったときに、サプライズ・ゲストとして招待され
“プア・リリレフア“を演奏しました
そのとき年配の女性が聞いて涙したのです
曲に感動して、心を打たれて、涙を流してくれるというのが
ミュージシャンにとっては最高の賞賛です
だから、アルバムにもそういう感動を入れ込んでいきたいと思っています
Q: いつもアルバム全体にストーリーがありますが
アイデアはどこから出てくるのですか?
Barry : 旅行からインスピレーションを得るのが一番多いですね
世界中を旅してそこでの経験やインスピレーションを曲に反映させています
どの曲も…すべて曲の中に物語がある
“プア・リリレフア“なんかも、深い物語がそこにあるし
ギャビー抜きにハワイイ音楽は語れない
Q : 個人的な感想でハワイイのコーラス,ハーモニーは1960年代のアメリカ・フォークソングの
影響を強く受けている感じがするのですが?
Barry : 本当にそうだと思うよ
Ron : その当時、テレビが普及してきて、そこから影響を受けた
カウボーイ映画も盛んだったし、ウェスタンの影響もそこからあると思う
ビートルズの影響もあるしね
Q : ハワイイアン・ルネッサンスといわれる運動の影響も大きいですよね?
Ron : もちろんだよ、ギャビー達がハワイイ語で歌う音楽からも大きな影響をうけています
Barry : 僕自身も当時の音楽にすごく影響を受けています
Descendants(映画:邦題・ファミリー・ツリー)で演奏されている曲も素晴らしいよね
ハワイイ語で意味は分からないかもしれないけれど
人々の心に訴えるものがある
そうした音楽は、その当時のハワイアン達が音楽を通じて
文化を継承してきてくれたからこそのものだと思います
1970年半ば、ハワイイアン・ルネッサンスと呼ばれていた時代には
世界で毎日1〜2の言語が失われていました。
つまり、毎日1〜2の文化そのものが失われていたということです
ハワイイ語もその中に含まれていましたよね
ハワイイアン・ルネッサンスで先人が努力したおかげで
ハワイイ語は今も残っています
Q : ハワイイアン音楽においては
ギャビー・パヒヌイがやはり際立った存在として捉えられていますか?
Barry : ロンは彼の演奏をずっと見てきていますよ
Ron : 彼の演奏は、もうWOW ! という感じ
もう伝説の男
彼の存在そのものが、すごい
ハーモニー、歌もすべてです
生きている、彼らの音は生きているのです
ギャビーの音は1970年代初頭に録音されたものだったとしても
いつも新鮮でクリアーです
Barry : ギャビーはハワイイのボブ・ディラン&マイルス・デイビスって言われています
いつも周りに友人がいて、ご機嫌で、プリモビールを飲んでいて
とにかく音楽と共に生きていました
時には、金曜日の夜に始まったライヴが火曜日まで延々続くことだってありました
(ギャビーの話が始まると二人とも止まりませんでした,特に無口なロンが饒舌になりました)
日本にはヒーリングが必要 手助けをしたい
Q : 長くなりました。日本のファンに向けてのメッセージをいただけますか
Barry : 1年半前からロンと僕が住むマノアの家で準備してきました。
ロンはいつも素晴らしい料理を作ってくれたりして
音楽だけではなく人間としても深い繋がりができています
32年前に初めて出会い、
再びコンビを組むことができるのは奇跡だだと思います
そうした僕たち人間同士のつながりが
HAPAとしての音楽に反映されていくと信じています
昨年日本は不幸な出来事に見舞われました
今、日本は本当にヒーリングが必要だと感じています
僕たちの音楽が少しでも日本を癒すために貢献できればうれしいし
そうしたエッセンスをアルバムの中にも落とし込んでいき
日本を元気にしたいと思っています
Ron : ここ日本に来られて嬉しい、皆に会えてうれしい
演奏することを楽しみにしています
皆さんに感謝の一言です
とてもシンプルな思いです
Q : いつも皆さんに聞くのですが
もし、明日世界が終わるとしたら最後の一曲は何を演奏しますか?
Ron :「ハワイイ・アロハ」これが僕の曲です
Barry : 好きな曲いっぱいあるけれど、スティングの「フィールズ・オブ・ゴールド」
これは、今は亡くなってしまった姉が好きだった曲だから
この曲を聞くといつも姉のことを思う
彼女は僕を育ててくれた存在でもあから
歌い終わったら、チャールズのチャントを唱えます
長い時間ありがとうございました。
番外編:
一緒にいらしていた、バリーの奥さんレスリーさんにも質問してみました
Q : 仕事してないときのバリーはどんなですか?
レスリー:いつもクリエイティブなこと考えています
何かひらめくとすぐにメモ取っていますね
24時間いつも仕事のことを考えています
Barry : 寝ている時もメモ帳を近くにおいて
アイデア湧いたときはすぐにメモ取るようにしています
Q: 家のことはあまりやりませんか?
レスリー:やらないかしらー
Barry : やっているよ!
うーん…あんまりやらないけれど…
まぁ、家を掃除してくれる人はいるし最低限のことはやっていると思うよ…
レスリー:洋服を脱ぎ散らかしているけどね
Barry : 大体、男はそうなんだよ(笑)
2013年8月17日、18日の公演についてはこちら
http://8011web.com/information/event/hapa-2013-08/
HAPAの公式サイトはこちら
http://www.hapa.com/
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