ちょっと時間がかかってしまったが(すいません)
6月に来日した ”ジョン・クルーズ|John Cruz” の
ロング・インタビューをアップする
3年ぶり3回目の来日
昨今、日本に住んでいるのではと思えるハワイイ・ミュージシャンが多い中
ジョンはレアなミュージシャンと言えるかもしれない
日本に来なかった訳はインタビューの中で語られている
1996年のアルバム・デビューから2枚のアルバムしかリリースしていない
今年、ようやく3枚目のアルバムが出るようだ
名曲「アイランド・スタイル」はハワイイ好きなら耳にしたことがあるはずだ
ちょっとハスキーな甘い歌声にスラック・キー・ギターの響きが気持ちよい
音楽が大好きでギターが大好きな”ジョン・クルーズ”
まずはギターの話しから始まった
【BIOGRAPHY】
ハワイ、オアフ島パロロ・ヴァレー出身
父も兄も弟もミュージシャンと言う筋金入りの音楽一家の出身
ハワイのホテルで目先のお金のために音楽をやることを嫌ったジョンは
意を決していざボストンに移り住む
その後ニューヨークに移り住み様々な音楽スタイルを吸収し、音楽業界に深く携わって行った
1996年、アルバム『アコースティック・ソウル』を完成させた
ニューヨーク滞在中、ホームシックにかかり故郷のハワイを思って書いた曲が
アルバム収録1曲目のあの名曲、「アイランド・スタイル」
アルバムは、ハワイだけで10万枚以上を売上げる大ヒットとなった。
97年、ハワイのグラミー賞を呼ばれるナ・ホク・ハノハノ・アワードで
最優秀新人賞を含む2部門を受賞
2005年には『スラック・キー・ギターVol.2』でグラミー賞を受賞
最近ではジャック・ジョンソンとの共演や
トップ・プロ・サーファー、ケリー・スレーターとの活動などで
サーフィン界からも注目を集めている
2007年にリリースされたセカンド・アルバム『ワン・オブ・ディーズ・デイズ』は
ハワイのアルバム・セールス・チャートで1位を獲得した
( SURFROCK INTERNATIONAL HPより抜粋)
協力:SURFROCK INTERNATIONAL
インタビュー+撮影:すずきしゅう
通訳:chie sekiguchi
J:John Cruz
S:すずきしゅう
|このギターは可愛いよ
S:いきなりですがギターの話から始めても良いですか?
ちょっと小さいサイズのブリードラブ(Breedlove-ギターメーカー)を使っていますね?
J:はい、サイズはトリプル・オー(OOO)です
サイズの小さいギターが好きなんです
S:このギターを長く使っているのですか?
J:ブリードラブのギターはもう18年になります
僕が持っている他のブリードラブはこれほど小さくなくて
オーエム(OM)サイズくらいかな
このトリプル・オーは3年前に手に入れました
NAMMショーの、ブリードラブのブースで毎日弾いていたんだ
毎日1時間、ブースでコンサートをやっていた
30本くらい展示してあったのだけれど
「好きなの1台差し上げますよ」と言ってくれたのでこれを選んだ
他のギターも良さそうだったよ
真珠貝のインレイが施してあったりして、とてもきれいだった
でも僕にとってはこのギターが一番良い音だった
ブリードラブはカッタウェイに特徴があるのだけれど
これはシンプルなギターで、カッタウェイでもないし
12フレットだし、ボディーは小さいし、インレイもほんの少ししか入っていない
すごくシンプルに見える
でも、この音が良いんだよ
他のブリードラブは、きれいな低音からクリスピーな高音まで
かなり広い音域のギターだった
でもそういうギターはライヴのとき、大変になってしまうことがあるんだ
響きすぎたり、音がこもったり
ピックアップを使うから、音が良すぎると逆に良い音を拾えなくなってしまう
でもこれは音のこもりが最小限に抑えられている
そこが好き!
ちょうど良いんだ
可愛いよ
音はしっかりしていて、とても透き通っている
いいギターだよ
S:12フレットジョイントのネックは短くないですか?
J: ごく希に感じることはあるよ
普通のギターは14フレットジョイントだからね
僕も14フレットジョイントのカッタウェイを使うこともあって
そんな時は15、16フレットと使えるよね
このギターを弾いていて
たまに「あぁ、もうちょっとフレットほしい」と思うことがあるけど
ソロの時には全く問題ないよ
でも誰かと一緒に演奏して、リードを取ったりすると
「あ、足りない」と思うことがある
でもソロのときは大丈夫だね
12フレットだからだと思うんだけれど
このギターは音が深いんだ
音に余裕があるというのかな
だからこんなに良い音がするんだと思う
あとこのスローテッド・ヘッド(ヘッドの糸巻きがガットギターの形状)が
音をクリアにしていると思うんだ
S:理想のギターの音について考えたことがありますか?
J:このギターは理想的な音がすると思っています
低音が扱いやすくて、フィードバックが良い
ライヴのとき、大きいギターだとフィードバックがすぐにボンってなっちゃうんだけど
これはそういった低音の問題がなくて
とてもクリアな音が出る
音域のダイナミックスの問題なんだと思う
低音から高音までダイナミックな音域のギターを持っているけど
スピーカーを通すと過剰になってしまうことがある
このギターの音域は狭いのだけれど
とても絞り込みが効いているクリアな音なんだ
このギターを誰かに弾いてもらって客観的に音を聴くとよくわかる
自分で弾いているときには聴けないから、お客さんにどう聞こえるかわからないでしょ
だから誰かに弾いてもらう
そうすると、よく音が聞こえて、このギターをもっと楽しめるんだ
|タロパッチで6弦をドロップCにしたチュ−ニングがほとんど
S:先日のWSでも音探しが大事だと言ってたけれど
スラック・キー・ギターでは
どのチューニングを使うかを感じて探すことは重要ですか?
J:チューニングが弾く曲と合っているか
ピッチとキーも合っているか
これはすごく大事なことです
音には響き方というのがあって、僕が僕に合うキーを見つけられれば
声がしっかり繋がって、聴く人とコミュニケーションを取ることができる
メロディーと自分自身の気持ちもコミュニケーションが取れる
自分に合ったキーを見つけられれば、それが簡単になると思うよ
人によってキーは違うよ
僕も、時々キーを間違えることがある
レコーディングでスタジオに入ったら
特に歌を入れるときにはキーが合っているかどうかが大事だよ
カポを使ったりして自分に合うキーを探すんだ
たまに、レコーディングが全部終わってから
「ヤバい、キーが違う!」っていうことがあったりするよ
そういうときはテープを早回しして、よしオッケーって(笑)
本当にそれ、やったことあるし
うん、全然問題ないよ
僕は自分でアルバムのプロデュースをしているから
シンガーの声が正しいキーになっているかどうかは
プロデューサーの責任だよね(笑)
S:実際、どのくらいのチューニングを使っていますか?
J:タロパッチで6弦をドロップCにしたチュ−ニングがほとんどで
オープンDやオープンEのドロップDも使うな
D7系のチューニングも使うよ
ドロップDで、BをCに上げてD7ぽい音にしてる
S:「アイランド・スタイル」で使っているチューニングは
4弦がレギュラーチューニングなのですよね?
J:そうですね、低い4弦はね
そして高い弦をCとGに変えるだけ
S:このチューニングに名前はあるのですか?
J:ドロップC、ドロップGって言ってるだけです(笑)
呼び名はわからないなぁ
S:耳で聴いて、曲や声に合ったチューニングやキーを探すことが大切?
J:まずは曲を掴むのが大事だよ
声に合うキーを探すのはそれから
正確なキーをみつけたら、今度はきれいに聞こえる和音を探す
レギュラー・チューニングが良いこともあるよ
きれいに弾ける和音を探すんだ
しっくりこなかったら、カポを使って別の和音も弾いてみる
同じキーだけどね
その次に、ベース音を探す
そうやってキーをスラックさせるんだ
そういった全ての作業をこなすとギターが声をサポートしてくれる
|「ワイマナロ・ブルース」は7フレットにカポ
S:ワークショップでは「ワイマナロ・ブルース」の7フレット・カポの話しが面白かったのですが
(インタビュアー注:
ワークショップで「ワイマナロ・ブルース」を教えてくれたが
若い頃オリジナルの“カントリー・コンフォート”のコピーをしようとしたが出来なかったのだが
ある日、メンバーからギターは7フレットにカポをして弾いていたと聞き驚いたという
試したところ、“カントリー・コンフォート”の「ワイマナロ・ブルース」が弾けたという)
J:そうでしょ!
こんなハイフレットのカポなんて、すごく高いポジションでしょ!
残りはあと5フレットだけ!
僕も、”カントリー・コンフォート”にいた友達(ユージーン・マツムラ)が
教えてくれたときびっくりしたよ
衝撃的だった(笑)
でも聴いてみたら「ワイマナロ・ブルース」の音になっていたんだよね
これを知っている人は、あまりいないと思うよ
タロパッチだと思ってる人もいるけど、そうじゃないんだ
タロパッチのドロップCで7フレットのカポ
これを友達が教えてくれたとき、目から鱗が落ちたよ
もうどこにカポを付けようが怖いものなし
重要なのは、音とフィーリング
それが一番大事だと知ったね
S:ほんとうに好きなのですね、音楽とギターが
J:はい、そうですね、すごく…
それで、「ワイマナロ・ブルース」の話を続けるけれど
子どもの頃から聴いていた曲だった
リリースされたのは僕が10歳の頃だったと思う
(インタビュアー注:
1975年の”カントリー・コンフォート”1stアルバム
「We are the children」に収録されている
”リコ・マーティン”が作った曲だが元歌は「ナナクリ・ブルース」
このアルバム収録の際に歌詞を少し変え「ワイマナロ・ブルース」にしたようだ
そして、曲のイントロには「Silver threads among the gold 」が使われている)
だからこの曲は長いこと僕自身の中に入っているとも、いえる曲なんです
ハワイイのコンテンポラリーな曲の中で最もきれいな10曲に入ると思っているよ
他は、「Kuʻu Home O Kahaluʻu」とか
知ってる?
これもいい曲だよ
“オロマナ(OLOMANA)” の ”ジェリー・サントス” が作った曲だよね
それとか・・あぁもう、スラック・キーで気持ちがいっぱいだよ(笑)
|これからは毎年来るようにします!
S:三年振りの日本ツアーはどうでしかた?
J:今回は、素晴らしいよ
もっと早くに来なくて本当に悪かったと思ってる
間が空きすぎたよね
でもこれからは毎年来るよ
少なくとも1回…もしかしたら2回
S:こんなにファンが多いのに2回しか来ていないよね?
J:そうですよね
でもまた必ず来ます
日本にもファンがいてくれることは知っているのだけれども…
でもハワイイのグループが日本に行くとき
いつも僕には声がかからなかったんだ(笑)
なぜなら…
あまりフラと絡まないから
フラがないとお客さんが集まらないみたいだね
でも僕の新しいアルバムは日本でも買えるようになるはずだから
また来ます!
|メインランドに長く住んでいた…ハワイイから離れたかった
S:今はどこに住んでいますか?
J:今はオアフに住んでいます
その前はニューヨークに、けっこう長くて
12年生活していました
S:生まれ故郷のパロロ・ヴァレーはどんな所ですか?
J:パロロ生まれではなくて、パロロ育ちです
生まれたのはサンディエゴの海兵隊基地
父が海兵隊だったのでね
パロロはきれいな谷です
ワイキキから山を見上げると、そこがパロロ
よく子どもの時に歩いたけれど、パロロから川沿いをずっといくと
アラワイ運河に出て、その先がワイキキ
パロロの川はそのままワイキキまで流れているんだよ
S:お父さん、お兄さん、弟さん、みなさんミュージシャンですよね
J:妹もです
S:子どもの時からいつも音楽が身近にあったのですか?
J:そうですね、いつも音楽がありました
S:家族でもフルタイムのミュージシャンはジョンさんだけ?
J:僕と弟の”ガイ”がそうです
弟はプロのミュージシャンですが、ハワイイだけで活動しています
バーなどで演奏したり
S:音楽を始めたきっかけは?
J:父の後を追ったかな
男の子ってお父さんを見て育つでしょ
お父さんみたいになりたいと思ってね
あと兄の影響もあるかな
音楽は人をハッピーにするよね?
いろいろなミュージシャンを見て思った
僕もそういうことをやりたいと思った
S:ステージに立つようになったのは何歳くらいから?
J:15歳くらいです
S:それからNYに行くまではハワイイで活動していたのですか?
J:ハワイイでやっていました
高校を卒業してハワイイ大学に2年半通ったあと、マサチューセッツの大学へ移って
マサチューセッツからNYに行きました
S:ハワイイから離れたのはなぜですか?
J:ただハワイイから離れたかったから
できるだけ遠くに行きたかったんです
12年間離れていました
S:NYでは何をしていたのですか?
J:音楽一筋!
マサチューセッツでは演劇とダンスと音楽をやってた
でも膝を傷めて踊れなくなっちゃったんだ
だからその後は演劇をやっていました
今でもお芝居は大好きだよ
音楽か芝居かどちらかに決めなくちゃいけなかったから
よくよく考えて決めた
NYでは音楽漬けの日々だったよ
だってNYはすごいから
感激したよ
S:ケガしてなければダンスをしていた?
J:その可能性もあったかも
お芝居をしていたかもしれない(笑)
S:ハワイイに帰ろうと思ったのはなぜ?
J:ハワイイに戻ろうと思って帰ったわけではなかったんです
兄の”アーニー”がソロアルバムを作ることになって
そのプロデュースをするためにちょっと帰っただけだったのです
兄は”トロイ・フェルナンデス”と
”カウアイ・クレーター・ボーイズ”をやっていたけれど
ソロを出したいというので、手伝うために帰ったら
何となく、そのまま居着いてしまった
アルバムの手伝いだけのつもりだったんだけど…
なし崩し的に戻ることになったわけ
S:帰ってきて”アーニー”と”トロイ”のいる”カウアイ・クレーター・ボーイズ”で
ベースを弾いていましたよね
J:ベースを弾いていました
”カウアイ・クレーター・ボーイズ”にはベース・プレイヤーがいなくて
”アーニー”がギターで僕がベースをやりました
ベーシストを入れたこともあった様ですが
スタイルが合わなかったらしい(笑)
僕は昔、”アーニー”と一緒にベースを弾いていたし
”トロイ”とは”アーニー”と演る前にベースで一緒にやっていたので
どちらも”カウアイ・クレーター・ボーイズ”を作る前にね
だから二人が、どんなベースプレイヤーを望んでいるのか僕はよくわかっていたんだ
実は、NYでもベースをやっていたんだよ
いろんなバンドでね
|あたたかいアコースティックな音のアルバムを作りたかった
S:1996年にはデビュー・アルバム「アコースティック・ソウル」作りました
なにかエピソードはありますか?
J:メインランドでやっていた音楽はエレキ系ばかりでした
いろんなバンドのアルバムに参加してきたけれど好きになれなかった
あまり良いと思わなかったんだ
だからハワイイに帰って自分でプロデュースをしたいと思った
その時には、自分がどんな曲をやりたいかよくわかっていたから
それがアコースティック・サウンドだったんだ
当時、デジタルで何かをやるというスタイルが始まったばかりでした
CDが、出てきたときだったんだけれど
CDは高音は高すぎて低音は低すぎると感じた
当時、デジタルは面倒だったよ
僕は”カントリー・コンフォート”みたいな音を作りたかった
”ワイマナロ・ブルース”みたいな、あたたかいアコースティックな音
アコースティック・ソウルではそれがやりたかったんだ
70年代のような音を作りたかった
S:はじめて、あなたの「アコースティック・ソウル」を聴いたときにはびっくりしました
力強いのだけれど優しくてメローで衝撃的だった
2枚しかアルバムをリリースしていないのは少なすぎませんか(笑)?
J:その間、”弟” ガイのアルバムのプロデュースをしたりしていたよ
それでほとんどのお金と時間を使い果たしてしまったんだ
子どもも3人育てているときだったしね
何もやっていなかったわけじゃないんだ(笑)
S:2枚目のアルバム「ワン・オブ・ジーズ・デイズ」は
前作よりさらにパワフルでロックぽくなっていますね
J:僕が影響された他の音楽、ロックとかR&B、ジャズ、ブルースなども入れ込みたいと思ったんだ
アコースティック・ソウルはほっこりした気持ちになるアルバムだけど
このアルバムは僕が影響を受けた他の音も欲しかったんだ
レゲエとかね
S:ぼくは、あなたの音楽をアイランド・ソウルだと思っているのですが
ご自身ではどう解釈していますか?
J:アコースティック・ソウルというタイトルにした理由が答えだよ
みんなからいつも、どんな音楽をやっているのか訊かれて
「アコースティックでソウルな音楽」と答えていたんだ
だからアコースティック・ソウルというタイトルにしたんだ
S:曲はオリジナルでもトラディショナル・ハワイイアンでも、こだわりはないの?
J:どんな曲を歌うのも好きだよ
気分次第でパンクだって歌うし!
今年リリースする予定の新しいアルバムにはサプライズがあるかもね!
S:”Island Style”は日本でもヒットでしましたが
歌詞はシンプルですよね
日本語に訳していて、サビの部分にもっと何か意味があるのではと?
深読みしてしまうのですが(笑)
J: もちろん大事な意味は含まれているけれど
何かカオナ(裏の意味)があるわけではないよ
ハワイイでは方角をあまり東西南北の概念でとらえていない
メインランドでは東西南北で考えているけど
ハワイイでは海向き、山向きとか
ウィンドワード(風上)、リーワード(風下)っていう感覚で
今自分がどこにいるかを把握する
居る場所によって、ウィンドワードは違うし
山側や海側も違う
マウカ・サイドとか言うでしょう
本土みたいに北とか南とかいうんじゃなくて
山向き、海向きととらえています
風が雨を運んできて、雨は水を運んでくる
命を運んでくるということです
|今年の秋にはニューアルバムをリリースするよ
S:ハワイイではどこで演奏を聴けますか?
J:レギュラーのライブは今はやっていないんだけれど近々始めたいと思っています
前はレギュラーのライブをやっていたからみんなと会えたんだけどね
以前にレギュラーでライヴをやっていた頃は
「ジョン・クルーズと友達」っていうタイトルにしてたんだ
そうすれば、僕が行けなくても
ポスターを取り替えて「ジョン・クルーズの友達」っていうタイトルにすればいいでしょ(笑)
誰も文句言えない(笑)
フィジー(Fiji)やバリー(バリー・フラナガン)いろんな人が来て一緒に演奏したよ
一部では僕がアコースティックのソロをやって
いろいろ機材をそろえておくようにしていたから、ドラムセットとかベースもね
二部では、僕がちょっとソロをやってから会場を見回して
誰かを見つけてステージに呼んでベースを弾いてもらったりしていた
次の曲ではドラマーに入ってもらったり、いつも誰かを呼んで一緒にやっていた
そのうち僕はステージから外れて、次は誰にしようかなってやってたいたんだ
楽しかったよ!
会場を歩き回れれば、いろんな人と話ができるでしょ
それって大事だよね
つながりを感じられるから
僕のギグはいつもそんな感じだった
実は僕のソロなんていらなかったりしてね!(笑)
僕の兄弟姉妹や、父がいることもあったよ
S:最後になりますが、日本のファンへメッセージをお願いします
J:日本のファンが僕の音楽を聴いてくれていることに感謝しています
あまり日本に来る機会がなかったので…
日本のファンを大事にしていないように見えたかもしれませんが…
日本に来たのは2回だけで…
でもそんなことはありません
日本が大好きです
これからはもっと来ることにします
毎年!来ます!
S:3枚目のアルバムを楽しみにしています
J:Yaman! Late August. Soon, for sure.
8月下旬には出る予定だから楽しみにしてください
日本でも買える様にしますから!
S:長い時間ありがとうございました
コメント
コメント一覧 (1件)
[…] いる (8011web.comのインタビューはこちら) […]