■再掲載■ ロバート・カジメロ インタビュー 2004年9月

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ロバート・カジメロ(ミュージシャン、クムフラ)
8011web.comの第1回インタビューはロバート・カジメロ氏でした
このインタビューが 8011web.com の原点です

2004年9月掲載のインタビューです。(若干の訂正・加筆を行っています)

 

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8011web.comインタビューのオープニングで登場してくださるのは「The Brothers Cazimero」
ソロアーチスト、クムフラとして活躍するロバート・カジメロ氏です

ハワイアン・ミュージック、フラに興味を持った方なら誰でもが名前を聞いたことがあるはず
僕は「ロバート・カジメロってどんなミュージシャ ン」と聞かれると
「日本で言うと北島三郎のような人」と答えています

とても、長いインタビューになりました
文化、音楽、フラ、について様々なお話をしてくれました

WEBに載せるのには長すぎるかとも思いましたが
短くすることはしませんでした
なぜなら、一つ一つ の言葉の中に、非常に大切なことが含まれていて
ハワイイに興味のある方々に是非伝えたい話ばかりだったからです

*このインタビューのためにご協力いただいた、フラ・ハーラウ・カフラ・オ・ハワイ窪川京子先生
コハラカンパニーのヒデ・カラニモク氏にこの場を借りて お礼申し上げます 

「歌を始めたのは両親の影響」

 

─数多く日本に来ていらっしゃると思いますが、日本とはどのような場所ですか?
■Robert:何度も日本に来る機会に恵まれたことは幸 運であり、うれしく思います

来日するたびに常に新たな発見があります。

最も感銘を受けることは、日本人 が尊敬の念をもって西洋、東洋を問わず様々な国の人々、
文化を受け入れている点ですそれだけではなく、自国の伝統的な文化も絶やすことなく
維持し ていることはすばらしいと思います

自分たちの伝統的な文化を維持することについて、ハワイイの人も一生懸命努力をしていますが

日本人のように他の文化を受け入れつつ、自分たちの文化の伝承をしていければ良いと考えています

 

─日本の文化とハワイイの文化について、共通している部分はありますか?
■Robert:もちろん、違った文化間にもそれぞれ共通する点はあります

日本の文化とハワイの文化との共通点をあげれば

1. 一生懸命文化の伝承に従事する姿勢
2. 興味深いものを探す探究心
3. 何かを人と共有すること(人と上手くやっていこうという姿勢)だと考えています

 

─歌、フラをはじめたのはいつ頃できっかけはどんなことですか?

 

■Robert:歌 を始めたきっかけは、両親にあります

両親ともハワイアンミュージシャンだったからです
ですから、子供のころから家族で歌を歌ったり、フラを踊ったり
人前で何かをするといったことが自然に生活のなかにあったのです

ローランド(弟)と音楽を始めたころは、ロックン・ロールに夢中になっていました
だんだん年をとるに従って、ハワイアンミュージックに傾倒していったわ けです

フラについては…
ハワイイアンミュージックとフラは、右手と左手のようなもので、必ずセットで関わるものでした
私が高校生のころ、女性のフラの 先生(クムフラ・アンティ・マイキ)に出会いました
そのとき、フラを習うなら、彼女からフラを習おうと決めたのです

 

─今でもロックなどは聞いてらっしゃいますか?

■Robert:最 近の曲はアマリ聞きませんが、
古いロックンロール(自分が昔聞いていたロック)は聴きますね

例えば、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング、ジャニ ス・ジャプリン、
ジェファーソン・エアプレイン、などは聞きます

うれしいことに、昔のロックが今また若い世代の間でリバイバルとして聴かれ るようになって
若い世代が「この曲、すごいイイ」なんてことを聞くと
「あ〜、この曲は若いころ聴いてたな〜」と思 うことです

今のロックは残念ながら聴かないけれど、ニューエイジやネイチャーといった
ジャンルの音楽を聴きます

─昔聞いていたロックがあなたのハワイイアンミュージックに影響したということはありますか?

 

■Robert:え え、大きな影響ガあったと思いますよ
特に、ローランドが影響を受けたと思います
ローランドはギターで、ロックの影響をハワイイアン ミュージックに反映させています

ローランドがコンテンポラリーハワイアンミュージックを
私がトラディショナルハワイアンミュージックを得意としています
良いバランスが保てています

「ザ ブラザーズ・カジメロとしての自分が一番にある」

 

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─ところで、ミュージシャンとクムとの区別をご自身ではどのようにしていらっしゃいますか?

 

■Robert:区別するように意識はしています
ほとんどのハワイイの人々(少なくとも私のことを知っている人たちは)は
私のことをミュージシャンとして認識していると思います

それについてはそれでいいと思っています
なぜなら長い間ミュージシャンとしてやってきたわけですから

─ザ ブラザーズ・カジメロとしてローランドと二人で演奏するときとソロとではどうですか?

 

■Robert:ザ ブラザーズ・カジメロとしての自分が一番にあります
なぜなら、ブラザーズがあって、ロバート・カジメロがあって
そして、クムフラとしての私があると考えているからです

─ザ ブラザーズ・カジメロとしてやっているときが一番楽しいということですか?

 

■Robert:そうですね
最もリラックスして出来ます
なぜなら、お互いのことを分かり合えていて、考えなくていい
相手が何を考えているか分かるから

─喧嘩なんかはすることは無いのですか?

 

■Robert:いつもですよ
それが兄弟では普通(自然)だと思います
どんなことでも、喧嘩になりますよ

ショーの最中にも喧嘩することもあります
でも、誰にも気づかれませんけどね

 

「常に心がけていることは自分たちのベストを尽くす」

 

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─メインランドそして世界各国でもショーを成功させ、ハワイアンミュージックというものを広めた
パイオニア的な存在であるわけですが、
これからはどのよう な活動を考えていらっしゃいますか?

■Robert:いい質問ですね。(ロバートさん、よく考えながら)
出来るだけベストな答えをしたいと思います
常に心がけていること、実践し続けていることはパフォーマンス、
歌など自分たちのベストを尽くすことです
なぜなら、ハワイイアン・カルチャーにプ ライドを持っているからです

今まで、世界中でパフォーマンスを行ってきました
例えば、日本、ニューヨーク、バージニア、香港、韓国、オーストラリア、
ヨーロッパ各国などですが常に自分たちのベストを尽くしたいと考えています

そして、自分の音楽、そして文化を伝えられたら良いと思っています

─グラミー賞にハワイイアンミュージック部門が出来たことについてどう思いますか?

 

■Robert:と ても良いことだと思います
私がこんなことを言うのはおかしいかもしれませんが
ハワイイアン・ミュージックは長い間「シークレット」みたいなものだったと思 います

ハワイイだけで、独自のものとして守られてきました
世界の人達はハワイイアン・ミュージックについて知らないでしょう
日本ではよく知られ ているけれども、アメリカ本土では、タイニーバブルス、パーリイ・シェル、
ブルーハワイといった曲以外はほとんど知られていません

日本では、フラの先生が活躍していて
彼女らが、ケアリイ・レイシェル、ザ ブラザーズ・カジメロ、マヒ・ビーマー、マカハ・サンズ
などといった多くのハワイイアン・ミュージシャンを紹介し、とてもよく知られるようになりました

グラミー賞にハワイイアン部門ができて良かったと思い、喜んでいます

私の時代は終盤に差し掛かっています(笑)
そんなに年をとっているとは思わないけれどね(笑)
でも年は毎年増えていくから

私にとって重要なことは、グラミー賞というアイデアを次の世代を担う
若いハワイイアン・ミュージシャンに繋げるということで、大切な事だと思います

ローランドや自分より前の時代のミュージシャンたち
つまり私の世代に繋げてくれたハワイイアン・ミュージシャンたち

ギャビー・パヒヌイ、アン ティ・ジェノア・ケアベ、ピータームーン、サンデーマノア、
マヒ・ビーマー、そして私の両親などが私の世代に伝えてくれたハワイイアンミュージックを


次の世代のハワイイアン・ミュージシャンたちに伝え見届けることがとても重要だと思うのです

 

─次世代のハワイアン・ミュージシャンでロバートさんが注目している人たちを教えていただけますか?

 

■Robert:ナー・パラパライ、マウナロア、若いグループでは、ホルナペ、アレアかな

「彼らは私の人生そのものです」 

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─あなたのハーラウ「ハーラウ・ナー・カマレイ」はどんな存在ですか

 

■Robert:ナー・カマレイとは、”Lei of Children” という意味です

ハワイの女性にとって、初めてのレイは子供だと言われています
なぜなら、女性が子供を宿したとき、子供はレイのよう に母親の体を囲みます
ハワイイ語で「カマ」とはチルドレン(子供)という意味です

私がこのハラウをはじめたころ、フラ・ステューデントたちは皆若く、 15歳~16歳くらいでした
今はもうみんな良い年になっていますがね(笑)

ナー・カマレイは、私にとって、素晴らしい人生の一部、そして、私の家族で す
私のフラの先生(アンティ・マイキ)が書いた本があります
「フラ・イズ・ライフ」という本です

私も彼らに、「フラ・イズ・ライフ」とい うことを教えています
フラを踊っているときでも、人生について学んでいるわけです

私たちは、「フラ・イズ・ライフ」ということを信じています
そし て、彼らは私の人生そのものです

 

─実に多くのハワイアン・ミュージシャン、ダンサーたちが日本に来て
パフォーマンスをしていますが、どのようにお考えですか

 

■Robert:少 し多すぎるかなとは思います
しかし、ハワイイアン、フラがとてもポピュラーになっている現状については
いいことだと思います

しかし、フラをやるにあ たっては、付随することがたくさんあります
例えば、衣装、曲、レイ、ミュージシャンなどです

私は、気をつけなければいけないことがあると思うのです
それは、どのカルチャーにもあることですが、ハワイアンの中にも良い人もいれば
良い人と呼べない人もいます
ですから、出来る限り、善良な人(良い人)が日本に来て欲しいと考えています

ヒデ氏に最初、日本でフラを教えては どうかといわれたとき、断りました
なぜなら、日本で文化を正しく伝えずに、本物ではないフラを教えた人たちがいたからです

正しく教わらなかった日本人に私がもう一 度正しいフラを教える
つまり間違えを正すということはしたくはありませんでした

間違えたフラを教えたハワイイアンとの対立も望んで いませんし、誰も怒らせたくはないからです
しかし、最良・最高のフラを伝えることが大切だと思い日本でフラを教えることにしたのです

「ハラウの30周年、メリーモナーク出場」

 

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─最高のフラと言えば、来年のメリーモナークに出場なさるとお聞きましたが?

 

■Robert:そ うです
考えると頭が痛くなりそうです、お金も時間もかかるので
しかし、すばらしいと考えていますけれど

来年、2005年、私がフラを教えるように なって30周年を迎えます
メリーモナークへの参加は、30周年をお祝いする記念としてのものです
私たちが継続して励んでいるフラを披露する目的もあり ます

─前回の出場は何年前のことになりますか?

 

■Robert:6 年前です
原則として10年ごとに出場するのですが来年は30周年ということもありますが
メリーモナー ク出場には、年齢制限があります
55歳以上は出場できないのです
何人かの私のフラ・ステューデントたちにもう一度 (出場)チャンスを与えてあげたかったのです
すでに、2人のダンサーが年齢制限を越えているため、メリーモナークには出場できません

自分も含めてこの 3人が55歳を超えているのです(ロバート氏悲しそうな顔をする)
そのため、来年出場することにしたのです

「5人のハワイアンカルチャー・フィーリングを表現できるダンサーを知っている」

 

─日本のフラ教室やダンサーについては、どのような感想を持ってらっしゃいますか?

 

■Robert:素 晴らしいダンサーはたくさんいます
本当にびっくりさせられることがあります
ハワイイのフラダンサーよりも素晴らしい人がいるのです

もちろん、ハワイイにも素晴らしいダンサーはたくさんいます
同時に、素晴らしいとは言えないフラがあるのも事実です
それは、日本のフラダンサーについて も同じことです

─技術は優れているが、ハワイイに住んでいない、言葉の壁があるといった理由で
ハワイイのダンサーと比較して理解力、表現力などで劣っていると感じますか

 

■Robert:そ うですね、例えば、「ペレを感じる」ということは難しいでしょう
どのように感じるかを伝えるかは難しいですね

日本でフラを教えるとき、通訳を 介して意味を説明するのですが、まず、ハワイイ語から英語、
そして、英語から日本語に直すわけですが、これはまた難しいのです

他の例を挙げれば、「どのくらい愛しているか」ということを、ハワイイ語で「ピリ・イカ・リニ」
英語で「Close to my skin」と表現します

その人をとても愛しているために「肌と肌が触れあうようにその人を感じる」といった
意味なのですが、これを日本語だけでなく英語で説明することすら大変難しいのです

ハワイイアン・カルチャーは、 タッチ、相手に触れることで愛情を表現することが特徴的です
アメリカン・カルチャーでは握手、抱擁など
日本のカルチャーではお辞儀などと習慣が違うの ですから無理もありませんが

しかし、そういったカルチャー、言葉の壁といった、困難を乗り越えて
ハワイイアンが意味するカルチャーを感じ取り、フラでそ のフィーリングを
的確に表現できる日本人はいるのです

私が長年日本にきて日本人のフラダンサーを見てきて
5人のハワイアン・カルチャー・フィーリングを 表現できるダンサーを知っています

少なくとも、その人たちはハワイアンカルチャーを理解し
的確に表現できていると私に信じさせるようなフラを踊 れているのです

 

「Hula is Life」

 

─フラを勉強している人に大切で、簡単なアドバイスをいただけますか?

 

■Robert:ハワイイのフラ、ミュージック、ピープル、カルチャーを
愛してくれているすべての人々に対して、感謝申し上げます Mahalo Nui Loa!

私が先生から教わったことは、「 Hula is an art of Hawaiian Dance」フラとは聞いたこと、
見たこと、香り、味覚、触れたこと、そして感じたことを表現することです

そしてフラは芸術です
どうか、忘れないでほ しい”Hula is Life“  ハワイアンカルチャーを愛していてくれてありがとう

─もし、日本人の男の子で、ハワイイに住んでいて、ハーラウ・ナー・カマレイで
フラを学びたいと思ったらそれは可能ですか

 

■Robert:い い質問ですね
三年に一度だけフラ・スチューデントを募集します
なぜ三年に一度かというと、そんなにたくさんの生徒は要らないからです

一人一 人の生徒に対して真剣に指導していきたいからです。そんなにたくさんの生徒がいたら
ステップや、手の角度などきめ細やかに指導ができないと考えるからで す

今回募集をしましたが、3人の新しい生徒が入りました
新しいクラスは、年内にはスタートする予定です

─日本人でもあなたのハーラウに入れますか?

 

■Robert:少なくとも、5年は続けてもらうことが必要です
5年間その地にとどまって勉強してもらうことが条件です
5年の間に日本とハワイイを往復して、ということではチョッと困ります

基本的には、どんな人にでも教えてあげますよ

私の指導の方法は、次のようです
数ヶ月、ステップなど基本的な動きの練習をします
その後、何人かに絞り 込んでいくわけです
また、私より太っていてはだめなのです(笑)

 

─ハワイイアンであるということはあなたにとってどういう意味を持つことですか

 

■Robert:と ても責任を感じます
そして、名誉に思います

何かを人に言うときに、自分の両親、先祖の存在を常に感じます

つまり、こういうことです
あなた私がお話をしているとしましょう
私の後ろには何千人ものハワイイアンの祖先がいて、見守っているのです
彼らのサポート、強さ、ス ピリット、を感じています
私は、彼らに対する責任を理解し、感じています

 

─オアフ島にしか行ったことがない旅行者が多いと思うのですが
オアフ島の次にいくとしたらどこの島を薦めますか

 

■Robert:ハ ワイイ島(ビックアイランド)ですね
ハワイイ島は一番「スピリット」を感じる場所だと思います
なぜなら、私の家族がハワイイ島出身ということもありま すが、火山があるからです

日本人は火山や溶岩に対して大変理解や知識があると思います
日本の火山にはペレはいないけれど、ハワイイ島の火山にはペレが いるでしょう

でも、日本人は火山に対して「リスペクト」があると思うのです
「リスペクト」は、日本語でなんと言いますか?「尊敬」?日本人はハワイイの
火 山・自然に尊敬の念をもってくださっているのだと思います

ハワイイの人々も尊敬の念をもっていますが
日本人のように、もっと尊敬の念をもって人に接し ていければいいと思うのです
毎回、日本に来るたびに新しいことを学びます
日本人は人に対して尊敬をし、感謝し、人に良いことをしようとしてくれます。

ありがとうございます。(日本語で。)

─最後に日本にいる多くのあなたのファンにメッセージをいただけますか

 

■Robert:す べての私たちの友達の皆さん、是非私たちのコンサートに来てください
ハワイイに来てください
ハワイイの島々を訪れてください
ハワイアンミュージック を聴いてください

好きであれば、フラを踊ってください

いつも逃げちゃいますけど、私を見かけたら一緒に写真を撮ってください(笑)
今日は、お話を聴 いてくれて、そして私のインタビュー記事を読んでくれて
本当にありがとうございました

最後に、このウエブサイトでのインタビューの機会を持てたということは
たいへん光栄なことと考えています
ありがとうございます
こうしてお話できることをとてもハッピーに思います
ありがとうございます。
よろしくおねがいします。(日本語で)

(2004年9月18日 東京 昭和女子大にて)

 

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