Willie K|ウィリー・K氏
音楽ジャンルにとらわれないスタイルが好きだった
僕より若かったんだ…
5月18日 2年間におよぶガンとの戦いを終えた
Willie K|ウィリー・K -William Awihilima Kahaiali’i– が
マウイ島ワイルクの自宅で家族に見守られなくなった
家族がSNSに発表した
「ウィリーKが月曜日の夜(5月18日)
オハナに囲まれたワイルクの家で亡くなったことを
発表するのは残念です
彼は演奏しながら2年間以上懸命に戦いました
今年2月中旬
肺ガンの合併症で起きた肺炎のために入院しました
彼は前向きな精神を持ち
再びパフォーマンスするのを楽しみにしていましたが
突然病状が悪化し、ガンとの戦いに終止符を打ちました
家族は
「皆さんが与えてくれたすべての愛、サポート、そして祈りに対して」
感謝していると伝えた
才能を見いだしたのはケリーボーイ・デリマ
1960年10月17日オアフ島生まれ
(wikiにはマウイ生まれとなっているが
ジョン・バーガー氏はオアフ生まれマウイ育ちと書いている)
まだ59歳だった
マウイで育ち、11歳のときにミュージシャンの父親と一緒に音楽活動を始めた
マウイ・サーフ・ホテル、シェラトン・ブラックロック・テラスなどで演奏
1979年にラハイナルナ高校を卒業
その時には、TOP40からカントリーミュージック、ジミ・ヘンドリックスなどを
弾きこなしていたという
その後、カリフォルニアに渡る
その時、ギタリスト、ジョー・カーノに
ギターのテクニックを教わったと
インタビューで答えている
テクニックと音楽レパートリーを広げたウィリーはハワイイに戻る
マウイ島で彼の才能を見いだしたのは
『カペナ』のケリーボーイ・デリマだった
1991年デビューアルバム「Kahaiali’i」をリリース
彼のすすめでKDEレコードとのレコード契約に署名し
オアフ島にホームを移した
1991年にデビューアルバム「Kahaiali’i」をリリース
このアルバムで”ナ・ホク・ハノハノ・アワード”をもらった
その後、93年までにソロ2枚と
カペナとの共作をリリースしたが
レコード・レーベルの移籍などで表舞台から消えていた
エイミー・ハナイアリイとコンビ結成
1997年マウンテン・アップルが
エイミー・ハナイアリイの作品への参加をオファーし
“Amy Hanaiali’i Gilliom & Willie K.” 『Hawaiian Tradition 』で復活する
1999年二人で3枚目になるアルバム『Nostalgia』をリリース
大ヒットし、ナ・ホク・ハノハノ・アワードを受賞する
二人名義のアルバムは、ここでしばらくお休みとなる
マウイに戻り新たなステージへ
ウィリーはマウイに戻り
新しい、個人レーベル “MAUI TRIBE”を起ち上げて
新しいステージに進んでいった
その後、ライヴ・アルバム、クリスマス・アルバム
ロック・アルバム、ブルース・アルバム、ウクレレ・アルバムと
ジャンルに拘らない、自由な才能を発揮した
2005年には、エイミーの兄弟、Eric Gilliomと新しいデュオ
”Barefoot Natives”を結成し
ナ・ホク・ハノハノ・アワードを再び受け取っている
エイミーとのコンビを復活
そして、2014年待ち望まれていた
エイミーとのコンビが復活する
”Reunion”と、そのものズバリのタイトルで
リリースされた
もちろん2015年に
ナ・ホク・ハノハノ・アワードを受け取っている
その後、二人の作品はリリースされなかった
ガンにかかったことを公表
2018年に入り、ショッキングなニュースが知らされる
ウィリーの右上肺に小細胞ガンが見つかったと発表された
治療を続けながら音楽活動を積極的に続けていたウィリー
2019年にはエイミーとのアルバムから5年振りに
ソロ・アルバム”Tropical Plantation”をリリースした
マウイ島のサトウキビ・プランテーションをモチーフに
牧歌的な優しいブルース・アルバムとなっている
さらには、2018年10月
アロハ・スタジアムでおこなわれた、ハワイイ大学フットボールの試合で
当時のアメリカの世相、ハワイイとの事情を考え
独特の解釈で国歌とハワイイ・ポノイを披露し
全米で大変な話題になった
[itemlink post_id=”5816″]
彼に出来ない音楽はない
このように、真のパフォーマーだった、ウィリー・K
「彼に出来ない音楽はない」といわれていた
プリンス、サンタナ、ZZトップ、スティーブン・タイラー、ウィリー・ネルソンなど
多くの、スーパー・スターから実力を認められ、共演した
ハワイイの枠に収まらない才能の持ち主だったが
実に、ハワイイアンらしい人物でもあった
多くの、ファン、アーティスト、政治家から悲しみのメッセージが送られ
SNSのTLはブルーに染まっていた
ウィリーKは、妻のデビー・カハイアリィーと
子供たちのカルショーン、マックス、リケッティアナ、アントワネットに
看取られ天国へ旅立った
未発表の音源があるらしい
「約6か月前にスタジオで12曲を録音した、ロックアルバムです」と
”ウェアハウス・ブルース・バンド”のギタリスト ”トム・コンウェイが語っている
ウィリーはそれをリリースしたがっていたそうだ
親しかったミック・フリートウッドは
リリースされていないレコーディングを手助けしたいといっている
さらに、ウィリーの自宅には公開されていない音源が多数あると
ミック・フリートウッドはいう
もしかしたら、年内にウィリー・Kの新しいアルバムを聴くことが出来るかも知れない
楽しみに待ちたい
僕の思い出
90年代の後半だったと思う
ウィリー・Kが来日し、湘南でイベントに出演していた
フラ関係のイベントだったと記憶している
僕が、何故そこにいたかは忘れた
打ち上げが、鎌倉だったか…
駅そばの居酒屋広間でおこなわれた
ハワイイからのミュージシャンがいなかったのか
英語が堪能でない、僕が隣に座ってしまった
ウィリーはウクレレを抱えていて
曲やちょっとしたフレーズを弾き続けていた
僕に、何故かウクレレのコードを教えてくれた
「何かやって欲しいか?」とたずねられ
“Katchi Katchi Music Makawao,”と“Rains of Ko’olau,”をリクエストした
隣で、その2曲を歌たわれて、チキン・スキンだった
その後。最後までウクレレを手放すことが無かった
そんな素晴らしい想い出がある
僕は幸せだ